山口彊
山口 彊(やまぐち つとむ、1916年3月16日[1] - 2010年1月4日)は、広島と長崎で2回にわたって被爆した「二重被爆者」の1人であり、2度の直接被爆が公式に初めて認定された人物である[2]。
経歴
1916年、長崎県に生まれる。旧制中学校を卒業後、長崎三菱造船に入社し、艤装設計課で製図工として勤務する[1]。
広島市と長崎市での被爆
1945年5月、山口は同年8月7日までの予定で広島の造船所に出張する。8月6日に広島市に原爆が投下されたとき、彊は職場への通勤途中であり、爆心地から約3キロメートルの広島電鉄江波線江波電停にいた[3] ところ、被爆した。この被爆で彼は左鼓膜が破れ、左上半身に大やけどを負った[4]。彊は妻と子供に会うため、国鉄山陽本線己斐駅から翌日の救援列車に乗って長崎へ帰った[3]。
8月9日、長崎市に原爆が投下され、長崎三菱造船の事務所で再び被爆する[3]。妻と子供も原爆の後遺症とみられる癌のため、2005年に息子が、2008年に妻がそれぞれ亡くなった[4]。
戦後
終戦後、長崎三菱造船を解雇され、長崎に駐留していたアメリカ海兵隊第5大隊に通訳として従事する。その後中学校の英語教員を7年間務めた後、三菱造船に復職し、定年までタンカーの設計を行った[1]。
2006年、記録映画『二重被爆』に出演した(後述)。 彼の原爆手帳には2度の直接被爆が記載されている。1957年8月に手帳が交付されたとき、両方の被爆が記載されていたが、後に更新された時に広島市の記載が消去された。2009年1月になって追加記載を申請し、広島市の記載が復活した[2]。
2009年3月に、原爆の後遺症とみられる癌にかかっていることをインタビューで明かした[4]。
2009年12月22日には、米国の映画監督ジェームズ・キャメロンが病室を訪問し、原爆をテーマにした映画の構想について話した。それを聞いた彊は英語で「私の役目は終わった。後はあなたに託したい」と語ったという[5]。
2010年1月4日午前5時38分、胃がんのため長崎市内の病院で死去した。93歳没[6]。
映画出演
2006年、記録映画『二重被爆(監督:青木亮)』に出演する。この映画は山口の提案により海外上映が行われ、ニューヨークの国際連合本部とコロンビア大学で上映が行われた。上映にあわせて自ら渡米し、核兵器廃絶を訴えた[7]。2007年には自らの証言を綴った『生かされている命』を出版した。また、10代の頃から始めた短歌を趣味としており、1999年8月の第37回原爆忌文芸大会で長崎県知事賞を受賞している[1][7]。歌集『人間筏』の自費出版もしている[3]。
その後2011年には、『二重被爆〜語り部 山口彊の遺言』として、前作製作から山口が亡くなるまでを追った記録映画が公開。
BBCクイズ番組問題
英国放送協会(BBC)が2010年12月17日に放映した人気お笑いクイズ番組「QI」H series Episode 13で山口が取り上げられ、"Well, this man is either the unluckiest or the luckiest, depends on which way you look at it".(えーと、この人は見方によって、最も不運とも最も幸運とも言えるんだ)"He lived a long time, so he wasn't that unlucky". (ずいぶん長生きだったから、それほど不運だったとも言えないね)"He was a cheerful fellow"."He doesn't look so cheerful there"."No, wedged between two mushroom clouds". (「明るい人だったんだよ」「写真ではあんまり明るそうじゃないね」「そう、二つのキノコ雲に挟まれてね」)"So he's either the luckiest for he survived or the unluckiest because...""It's you know, is the glass half empty or half full? Either way, it's radioactive. So don't drink it".(「生き延びたから世界一運がいいのか、それとも運が悪いのか…」「要するにコップは半分空というか半分入ってるというか。どっちにしても放射能に汚染されてると。だから飲んじゃダメと」)などと話題にされた[8]。
このことが、「二重被爆者が『世界一運が悪い男』などと笑いのタネにされた」として物議をかもす結果となり、在英国日本国大使館は2011年1月7日、「原爆投下の問題をコメディー番組で取り上げるのは極めて不適切で日本人の国民感情を無視している」と抗議の書簡をBBCと製作会社に送った。1月17日になって製作会社から「配慮に欠けていた」などとする返答があり[9]、21日、BBCの娯楽番組担当広報責任者と番組制作会社は連名で「(日本の皆さまに)不快な思いをさせ、申し訳ない」と謝罪する声明を発表した[10]。日本政府内からは「怒り心頭というか、強い怒りと不快感を持った」(前原誠司外相)など非難の声が上がり[11]、番組の司会者であるスティーヴン・フライが予定していた日本取材も中止された[12]。3月7日には、BBCのマーク・トンプソン会長名で電子メールによる謝罪文が長崎市に送信された[13]。
もっとも、イギリス国内では笑いの趣旨が原爆問題に対するものではなく、原爆投下の翌日には動いていた日本の鉄道事情を引き合いにしたイギリスの鉄道事情への自虐であるとの認識から、日本からの抗議に対して困惑や疑問の声もあった[14]。
この問題がきっかけとなり、先述の記録映画「二重被爆」「二重被爆〜語り部 山口彊の遺言」が2011年夏にロンドンで上映されることとなった[15]。
著作
- 『生かされている命 - 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言』(講談社、2007年7月25日、ISBN 978-4062141659)
- 『ヒロシマ・ナガサキ 二重被爆』 (朝日文庫) (朝日新聞出版、2009年7月7日、ISBN 978-4022616333)
出典
- ^ a b c d 山口彊『生かされている命 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言』 講談社、2007年
- ^ a b “二重被爆:長崎市が初認定 健康手帳に「広島」も記載”. 毎日jp (毎日新聞社). (2009年3月24日). オリジナルの2009年3月26日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d 「二重被爆」公式ウェブサイトより
- ^ a b c McNeill, David (2009年3月26日). “ヒロシマを、そして次にナガサキを、どうやって生き延びたか(How I survived Hiroshima – and then Nagasaki)”. インデペンデント 2009年3月26日閲覧。
- ^ 阿部弘賢 (2010年1月6日). “山口彊さん死去:二重被爆者93歳 非核・平和訴え”. 毎日jp (毎日新聞社). オリジナルの2012年7月11日時点におけるアーカイブ。 2010年1月6日閲覧。
- ^ “二重被爆の山口彊さん死去 悲惨さ訴え、映画にも”. 47NEWS. 共同通信. (2010年1月6日) 2013年4月1日閲覧。
- ^ a b “ヒバクシャ広島/長崎:'06秋/6 山口彊さん 2度の地獄、背負い”. 毎日jp (毎日新聞社). (2006年10月17日). オリジナルの2009年3月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ BBC「QI」の出演者たちは実際に何を言っているのか? これが「被爆を嘲笑」? 『水川青話』(翻訳者・コラムニストの加藤祐子によるブログ) 2011-01-22 19:50:26
- ^ “二重被爆者「世界一運が悪い」BBCお笑い番組”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2011年1月21日). オリジナルの2011年1月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “英BBC:広報責任者と制作会社が謝罪 二重被爆者やゆ”. 毎日jp. 共同通信 (毎日新聞社). (2011年1月22日). オリジナルの2011年1月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “BBC番組「怒り心頭」=前原外相”. 時事ドットコム (時事通信). (2011年1月25日)[リンク切れ]
- ^ “司会者の日本取材取りやめ=二重被爆者嘲笑問題で-英BBC”. 時事ドットコム (時事通信). (2011年2月4日) 2011年2月4日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “BBC、長崎市に謝罪メール 二重被爆者の番組問題”. asahi.com (朝日新聞). (2011年3月9日). オリジナルの2011年3月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ “BBC番組がいかに二重被爆者を取り上げたか 彼らは何と言っていたのか”. gooニュース (NTTレゾナント). (2011年1月25日)
- ^ “二重被爆者の映画、英で上映…BBCの問題受け”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2011年6月22日). オリジナルの2011年6月24日時点におけるアーカイブ。 2011年6月23日閲覧。
外部リンク
- 記録映画『二重被爆〜語り部 山口彊の遺言』(2011年製作)公式サイト
- 記録映画『二重被爆〜語り部 山口彊の遺言』(2011年製作)スタッフによる公式ブログ
- 記録映画『二重被爆』(2006年製作)公式サイト - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
- 山崎年子, 原田小鈴「二重被爆の父と生きる」『架橋』第13巻、長崎大学教育学部政治学研究室、2013年3月、27-44頁、NAID 120006973077。
- 山口彊「二重被爆 ―原子雲の下に生命を伏せて―」『架橋』第8巻、長崎大学 教育学部 政治学研究室、2007年3月、135-154頁、NAID 120006968110。
- (上記の英訳版)Yamaguchi, Tsutomu and Matsuo, Mari and Sakaoka, Naomi and Brown, Anthony (2013-03). “Double A-Bomb Victim: My Life beneath the Atomic Clouds”. 架橋 (長崎大学教育学部政治学研究室) 13: 87-110. NAID 120006973059 .