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峰山町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
みねやまちょう
峰山町
金刀比羅神社
峰山町旗 峰山町章
峰山町旗 峰山町章
廃止日 2004年4月1日
廃止理由 新設合併
大宮町、峰山町、網野町丹後町弥栄町久美浜町京丹後市
現在の自治体 京丹後市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
中郡
市町村コード 26481-4
面積 67.45 km2
総人口 13,850
(2004年3月1日)
隣接自治体 京都府大宮町弥栄町網野町久美浜町
兵庫県但東町
町の木 カエデ
町の花 サツキ
峰山町役場
所在地 627-8567
京都府中郡峰山町字杉谷889番地
外部リンク 峰山町 - ウェイバックマシン(2003年2月8日アーカイブ分)
座標 北緯35度37分27秒 東経135度03分40秒 / 北緯35.62417度 東経135.061度 / 35.62417; 135.061座標: 北緯35度37分27秒 東経135度03分40秒 / 北緯35.62417度 東経135.061度 / 35.62417; 135.061
特記事項 丹後ちりめん、地酒、みそ、しょうゆが特産品[1]
ウィキプロジェクト
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峰山町(みねやまちょう)は、かつて京都府中郡にあった丹後半島の付け根に位置し、丹後国風土記の「天女の羽衣伝説」で知られた。2004年(平成16年)4月1日に大宮町弥栄町網野町久美浜町丹後町の5町と合併して京丹後市となった。丹後地方の地場産業である丹後ちりめん発祥の地として知られている。また機械金属工業の集積地でもある。

象徴

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峰山の町章

町章は、峰山町の「M」と「み」を図案化し、結びの線は町民の固い団結を意味し、両翼を広げた翼の形は町の飛躍や発展を表す羽ばたきの姿で表現された[1]

町の木 はカエデ、町の花はサツキ、町の特産品として丹後ちりめん、地酒、みそしょうゆなどがしられた[1]

歴史

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1927年の北丹後地震における峰山町の被害

古代

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丹後国は713年(和銅6年)に丹波国を分割して設けられた国だが(続日本紀)、峰山町周辺は「丹後国丹波郡丹波郷」(和名抄)であり、古代の丹波国の中心であった。

弥生時代前期の途中ケ丘遺跡扇谷遺跡があり、大陸系の陶塤(土笛)が出土している[2][3]。伊勢外宮の故地であり、日本における五穀・養蚕・織物・醸造などの発祥地とする伝承が残る[1]

中世・近世

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権現山の山頂には大和国金峯山の末社である蔵王権現が祀られたことから、戦国時代に金峯山になぞらえて「峯山」(嶺山)と名付けられたと推定される[4]

江戸時代初期から明治まで、峰山藩京極氏の領国として栄えた。

京極氏は、関ヶ原の戦いの後、京極高知の代に信濃国飯田から12万3200石で丹後国に入国した。 高知の没後、宮津藩田辺藩峰山藩に分かれることとなる。

峰山藩は、中世から京極氏の居城であった吉原山城から東山麓にあたる峰山へ居城移動し(峰山城)、陣屋を構え(峰山陣屋)、初代から12代まで京極氏が藩主を務めた[5]

享保年間(1716年~1736年)には絹屋佐平治(森田治郎兵衛)によって丹後ちりめんが生み出され、峰山藩の特産品となった。

近代

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1869年(明治2年)には峰山町の町の分合や改称が行われ、不断町、上町、織元町、室町、呉服町、浪花町、白銀町、泉町、御旅町、堺町、富貴屋町の11か町となったが、後に吉原町、古殿町、光明寺町、四軒町が加わって15か町となった[6]。この地名が現在も大字名の一部として引き継がれている[7]

1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行された際、峰山町と杉谷村が合併して改めて峰山町が発足した。1927年(昭和2年)3月7日の北丹後地震の際、峰山町における倒壊率は98.8%(1035戸中1006戸)、焼失率は83.5%(1035戸中849戸)、死亡率は24.3%(4584人中1103人)という大きな被害を出した[8][9]

現代

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1955年(昭和30年)1月1日には峰山町・吉原村五箇村新山村丹波村の1町4村が合併し、改めて峰山町が発足した。1979年(昭和54年)には増田桂一が峰山町長に初当選し、その後峰山町が合併で廃止されるまで25年間に渡って町長を務めた(7選)。

2004年(平成16年)4月1日に大宮町弥栄町網野町久美浜町丹後町の5町と合併して京丹後市となった。京丹後市発足後には峰山町役場が京丹後市役所のメイン庁舎として使用されている。京丹後市発足直後には峰山町長の増田が市長職務執行者(暫定市長)を務めている。

地理

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旧峰山町中心部周辺の空中写真。1975年撮影の2枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

丹後半島の北、東西約40キロメートル、南北約20キロメートルの東北東から西南西にのびる地域は、一般に北丹後と呼ばれ、大部分は山地である。中央部を南北に流れる竹野川を境に、東側は標高500から600メートルの山地が連なる高原状地形、西側は峰山・網野山地、久美浜山地となっている。

竹野川は丹後半島では最大の川であり、京丹後市大宮町五十河から同市丹後町竹野(たかの)までの約31キロメートルを流れている。

峰山町は、この竹野川の中流、中郡盆地に開けた町である。町の面積は67.45平方キロメートル[1]。峰山町内には、鱒留(ますどめ)川、久次(ひさつぎ)川、小西川など、竹野川の支流がある。これらの川の流域には河岸段丘が見られる。

峰山町で最も高い山は南西にある磯砂山(いさなごさん)であり、西に久次岳、東北に小原山(おばらさん)がある。久次岳など西側の山は、凝灰岩などの第三紀の火山性の岩石に覆われている。磯砂山など南側の山は、花崗岩からなる急勾配の山であり、中郡盆地の周りは花崗岩の緩傾斜の山や丘陵となっている[10]

人口と世帯数

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人口の変遷
1970年(昭和45年) 15,092人
1975年(昭和50年) 15,066人
1980年(昭和55年) 14,911人
1985年(昭和60年) 14,774人
1990年(平成2年) 14,387人
1995年(平成7年) 14,026人
2000年(平成12年) 13,564人
世帯数の変遷
1970年(昭和45年) 3722戸
1975年(昭和50年) 3926戸
1980年(昭和55年) 4168戸
1985年(昭和60年) 4301戸
1990年(平成2年) 4442戸
1995年(平成7年) 4551戸
2000年(平成12年) 4602戸

産業

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江戸時代に町内の絹屋佐平治によって丹後ちりめんが創織され、これを峰山藩が保護・奨励したことにより、丹後地方の絹織物の集積地として発展、商業の要衝として隆盛した[1]。 戦後は織物業の機械化に伴い生まれたミシン部品、自動車部品、工作機械などの機械金属工業が導入され、急速に発展した。丹後地方のなかでも機械金属工業にかかわる問屋、組合、金融機関が峰山町に集中し、そのため、第3次産業就業割合が高く、1960年には峰山町商工会が誕生した[13]

農業は稲作が中心で、蔬菜豆類、種苗種木類なども栽培されていた[14]

丹後6町の産業別就業者数 1985年(昭和60年)10月1日時点
峰山町 大宮町 網野町 丹後町 弥栄町 久美浜町
第1次産業 943 850 939 872 727 2,280
第2次産業 3,374 3,302 5,734 2,329 1,743 2,808
第3次産業 3,764 1,820 3,254 1,633 1,136 2,663

*国勢調査(15歳以上の常住地)による

工業

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丹後ちりめんの後染め織物

商業

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アーケードの御旅商店街
京丹後54マルシェ当日の御旅商店街

1985年(昭和60年)前後には9つの市街地商店街が存在した[15]

  • 駅前商店街
  • 駅道商店街
  • 上本町商店街
  • 中央商店街
  • 本町商店街
  • 金刀毘羅商店街
  • 御旅商店街 自称日本一短いアーケード商店街[16]
  • 千歳商店街
  • 明峰商店街

金融業

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  • 丹後中央信用金庫 1933(昭和8)年に設立された保証責任峰山町庶民信用組合が前身
  • 丹後織物信用組合 1949(昭和24)年に設立された丹後織物信用共同組合が前身
  • 京都銀行峰山支店 前身は1895(明治28)年5月設立の峰山銀行。その後、丹後商工銀行と改称された。1941(昭和16)年10月の丹波・丹後地方4銀行の合併により丹和銀行となり、1951(昭和26)年に京都銀行に改称[17]
  • JA京都丹後 1995(平成7)年に設立

農業

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教育

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北丹後地震後の1927年に竣工した峰山町立峰山小学校本館

1927年(昭和2年)の北丹後地震では多くの学校の校舎が倒壊した。同年には鉄筋コンクリート造の峰山町立峰山小学校本館が竣工している。

幼稚園
  • 峰山幼稚園
小学校
  • 峰山町立峰山小学校
  • 峰山町立吉原小学校(合併後の2016年3月閉校[18]、現・京丹後市立いさなご小学校)
  • 峰山町立五箇小学校(合併後の2016年3月閉校[18]、現・京丹後市立いさなご小学校)
    • かつて成路分校があったが、1983年に休校となり、2004年に廃校となった。[19]
  • 峰山町立新山小学校(合併後の2018年3月閉校[18]、現・京丹後市立しんざん小学校)
  • 峰山町立丹波小学校(合併後の2018年3月閉校[18]、現・京丹後市立しんざん小学校)
  • 峰山町立長岡小学校
中学校
高等学校

隣接していた自治体

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交通

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鉄道

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京丹後市発足後の2015年(平成27年)4月1日、北近畿タンゴ鉄道WILLER TRAINSに譲渡され京都丹後鉄道となった。

施設

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北丹後地震後の1927年に竣工した丹後震災記念館

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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「狛猫」で知られる金刀比羅神社
神社仏閣
  • 金刀比羅神社 - 海難救助や縁結びの神としてしられ、4月、7月、10月の例祭にはおおきなにぎわいをみせる[1]
  • 金峰神社 - 古くは吉原城(峰山城)のあった権現山に祀られていた旧村社。北丹後地震で倒壊後、1930年(昭和5年)に府道17号線沿いに再建された[20]
  • 比沼麻奈為神社 - 伊勢外宮の豊受大神の故地とされる[1]
  • 月の輪田 - 稲作発祥の地との伝承がある三日月形の田
  • 乙女神社
  • 縁城寺 - 1000年の歴史ある古寺で、千手観音ほか2点の寺宝が国の重要文化財となっている[1]
  • 増長院
  • 全性寺
  • 妙経寺
  • 常立寺 - 峯山藩主・京極氏の菩提寺[20]
  • 慶徳院
  • 禅定寺 - 江戸期に誕生した最初の丹後ちりめんが奉納された。
  • 峰山城址 - 一色氏細川氏京極氏3代の城地とされた[1]
祭事・催事
金刀比羅神社の夏季例祭(7月)当日の峰山町内
  • 金刀比羅神社例祭(4・7・10月)
  • さつき展(6月)
  • 七夕まつり(8月)
  • フェスタみねやま「飛天」(現フェスタ『飛天』IN京丹後)(8月の第一日曜)
  • こまねこまつり - 合併後の2016年に初開催。
  • 芋フェスタ(10月)
  • 秋まつり(10月)
  • みねやま文化祭(11月)
  • 峰山産業まつり(9月から11月)

出身者

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吉村伊助 (4代目)

名誉町民

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『丹後の現況 平成3年刊』丹後ブロック統計研究会、1992年、1頁。 
  2. ^ 瀧音能之 三舟隆之『丹後半島歴史紀行』河出書房新社、2001年、29頁。 
  3. ^ 『角川日本地名大辞典 26-2 京都府 下巻』角川書店、1982年、660頁。 
  4. ^ 『京都地名語源辞典』東京堂出版、2013年、551頁。 
  5. ^ 京丹後市史編さん委員会『京丹後市史本文編 図説京丹後市の歴史』京丹後市、2012年、81頁。 
  6. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年、p.1457
  7. ^ 京丹後市史編さん委員会『京丹後市史資料編『峯山藩関係史料集』』京丹後市、2010年、205頁。 
  8. ^ 植村善博、小林善仁、大邑潤三「1927年北丹後地震における峰山町の被害実態と復興計画」『鷹陵史学』第37号、2011年、1-18頁
  9. ^ 蒲田文雄『昭和二年北丹後地震』株式会社古今書院、2006年、9頁。 
  10. ^ 峰山町『わがまち峰山』峰山町、2004年、44頁。 
  11. ^ 『丹後の現況 平成3年刊』丹後ブロック統計研究会、1992年、7頁。 
  12. ^ 丹後ブロック統計研究会『丹後の現況 平成14年刊行』丹後ブロック統計研究会、2002年、7頁。 
  13. ^ 峰山町『わがまち峰山』峰山町、2004年3月1日、96頁。 
  14. ^ 峰山町『峰山郷土史』峰山町、1964年4月1日、100頁。 
  15. ^ 峰山町『わがまち峰山』峰山町、2004年3月1日、140頁。 
  16. ^ 日本一短いアーケード商店街『御旅市場』(峰山町)”. 京丹後市観光協会. 2018年9月8日閲覧。
  17. ^ 峰山町『わがまち峰山』峰山町、2004年3月1日、145頁。 
  18. ^ a b c d 小学校 京丹後市
  19. ^ a b 『わがまち峰山』峰山町、2004年、p.184
  20. ^ a b わやだわや編集室 (2022年1月29日). “峰山城下町を再訪 金峰神社と周辺地域を歩く”. もりもりvol.107 有限会社中川印刷: p. 3 
  21. ^ 丹後ちりめんの歴史 丹後ちりめん織元 たゆう
  22. ^ 粟倉泰弘 粟倉研究室
  23. ^ 韓昌祐 マルハン

関連項目

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外部リンク

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