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昭妃劉氏(しょうひ りゅうし、1557年 - 1642年)は、明の万暦帝の妃嬪。
庶民であった劉応節の娘。母は馬氏。
万暦6年(1578年)に王喜姐(後に皇后となった)と楊氏(後に宜妃となった)と共に、選抜されて後宮に入り、その2月に昭妃となった。父の劉応節は正五品錦衣衛千戸に任じられた。
万暦帝の寵愛はなく、低調な生活を送った。天啓帝の即位後、政治的な原因によって太妃たちの中で主導的地位に就き、宣懿の徽号が贈られた。崇禎15年、薨去した。天寿山で李皇貴妃の墓に従葬された。
- 『明神宗実録』
- 『崇禎長編』
- 『大明誥贈錦衣衛指揮僉事劉公墓表』