中松真卿
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中松 真卿(なかまつ しんけい、1883年(明治16年)10月26日[1] – 1952年(昭和27年)10月4日[2])は、日本の商工官僚、特許局長官。日本製鉄株式会社社長。
経歴
[編集]和歌山県西牟婁郡田辺町(現在の田辺市)出身[1]。1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。農商務属、特許局審査官補となり、高等文官試験に合格した[1]。特許局審査官・事務官、農商務書記官、同参事官、簡易保険局書記官・商工書記官、特許局総務部長・意匠商標部長、保険事務官、商工省保険部長などを歴任[1]。1929年(昭和4年)、商工省鉱山局長となり、翌年には特許局長官に就任した[1]。
1936年(昭和11年)に退官した後は、日本製鉄株式会社常務取締役となり、ついで代表取締役社長に就任した[3]。
その後は東洋鋼鈑株式会社会長、中央ゴム工業株式会社社長などを務めた[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 大衆人事録 1930.
- ^ 『昭和物故人名録』 日外アソシエーツ、1983年。
- ^ 人事興信録 第11版 1937.
- ^ 人事興信録 第14版 1943.
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、408頁。NDLJP:1276156。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下巻』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下巻』人事興信所、1943年。
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