[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

鳥肌が立つほどすごい

言葉の誤用と生理学

最近、「鳥肌が立つ」という言葉を「感動した」「素晴らしい」という意味で使うケースが増えてきた。そしてよくそれは誤用だと指摘される。

しかし、このコラムは言葉の誤用については非難したり擁護したりして終わることはしない。むしろ、なぜ誤用されるんだろうというのがテーマである。以下、「誤用」という言葉を「昔の意味ではない」という意味に使う。間違いとか正すべきといったニュアンスは含まないつもりなのでそう読んでいただきたい。


「鳥肌が立つ」という言葉の誤用の問題は、他の誤用の問題とは違って簡単な問題である。「鳥肌が立つ」は現象を指している言葉だからだ。立毛筋が収縮して体毛が立ち、皮膚にぶつぶつができるのが「鳥肌が立つ」だから、本人がもしそうなったのであればそれが何に対してであれ正しい使い方なのだ。「この料理はおいしすぎて鳥肌が立ちました」というのも、本当に立毛筋が収縮したのなら正しい使い方である。

しかし、普通は「鳥肌が立つ」というのは恐い時や寒い時、あるいは不快感を表すのに使う。「寒い時」というのは感情とは関係のない体温調節のための現象だからこの際置いておくとして、人間は好ましくない事態に遭遇すると、交感神経が働き、アドレナリンが分泌される。その結果立毛筋が収縮して鳥肌が立つ。この現象は、自分の身にふりかかる危険を回避するために身体能力を高める人間の本能である。


「アドレナリンが大量噴出」というコピーもたまに見かける。これも同根であり、「鳥肌が立つ」と同じ意味である。本来は危険を感じた時に起きる現象である。それを今では「興奮」と同じ意味で使っている。

もっとも、「興奮」とは「気持ちが高ぶって神経の働きが活発になること」だから、これは特に間違ってはいない。興奮というのは交感神経の働きである。自分の身に危険が迫っていて機敏に活動しないとヤバいことになるというときに働くのが交感神経であり、それによって身体が活性化し身体能力が高まるのが興奮であり、その結果鳥肌が立つのである。

「ヤバい」という言葉も同じである。この言葉ももともと身に危険が迫るさまを表す言葉である。それが今では「このCDのギターかっこ良すぎ。すごいよ。超ヤバいよ」などと「感動した」「素晴らしい」という意味で使われるようになってしまっている。

「すごい」という言葉も、実は同根である。本来は「気味が悪い」とか「ぞっとする」という意味の言葉である(辞書を引いてみればわかるだろう)。ある物を見て不安や恐怖などを感じ、アドレナリンが大量噴出して鳥肌が立って身体が戦闘態勢に入る、そんな感じが「すごい」なのである。

「すごい」というのはあまり良い意味に用いられない言葉なのだ。漢字で「凄い」と書くか、あるいは動詞や名詞の「凄み」「凄む」、同じ漢字の「凄まじい」を考えれば、あまり良い意味ではなさそうなことがわかるだろう。どれも恐怖を感じさせる言葉だ。そして「すごい」も同じように、恐怖や不安を感じるという意味の言葉なのである。後ろの方には、今ではほとんど使われなくなった「ものさびしい」「寒けを感じる」という意味も書かれている。寒さに対して鳥肌が立つのと同じである。


今では「すごい」は「程度がはなはだしいさま」として使われている。しかし本来は単に「程度の違いが大きい」というだけではない。恐怖や不安を感じるというニュアンスが含まれている。こんなに程度が違っているのはちょっとおかしいのではないだろうか、自分だけ世間に取り残されているのではないか、といった異常さに対する不安である。あるいは、こんなに自分と程度が違う人がいるとしたら自分はいったい何なんだろう、という自我に対する不安かもしれないし、こんなことが続くと良からぬことが起こるんじゃないか、という将来に対する不安かもしれない。古語辞典をひもといてみると、原義は「見てはっとするような状況」とある。びっくりして落着きを失うような状況である。

「精神的ショック」という言葉もある。人間はよくわからない事が突然起きた時に、交感神経が働いて身構える。何が起きてもとっさに行動できるように準備するのだ。予期しないショックが訪れると人はパニックになる。ショックやパニックというのもまた鳥肌が立つのと同様のはたらきである。

スポーツをやっている時に興奮するのも、身体が一種の戦闘態勢に入っているからである。そして興奮は想像するだけで起きるから、スポーツを観戦するだけでも自分がグラウンドに立っていることを想像して興奮する。音楽もそうで、速いビートについていくことを要求されると身体は興奮状態になる。性的な興奮もまた同じである。「すげえ美人」はこちらのニュアンスだろうか。

ちなみに「全身の血の気が失せる」のも同じ身体のはたらきによるものだ。アドレナリンは血管を収縮させるため、血液が全身に行き渡らなくなる。「全身が震える」「背筋がぞくぞくする」「ぞっとする」も同じである。


「鳥肌が立つ」は誤用だと言う人が多いのに、「すごい」を誤用だと言う人はあまりいない。同じ状態を指す言葉なのにである。「すごい」を「感動した」「素晴らしい」という意味でも使うのなら、「鳥肌が立つ」をそういう意味で使うのも誤用ではない。

これらの言葉はただ素晴しい時や程度がはなはだしい時に使うべき言葉ではない。そこに不安や恐怖や戸惑い、予期しない衝撃がなくてはならない。素晴らしいという意味で使うにしても、調和のとれた丸い素晴しさではなく、突き刺さるようなとげのある素晴らしさをいう。

「鳥肌が立つ」を誤用だと言う人は、実際に鳥肌が立つほどの思いをしたことはないんじゃなかろうか(まあ、私もないわけだが)。生理学的に言えば、このようにいろんな所で鳥肌が立つはずである。ただ、ここで言うようなニュアンスを無視して「鳥肌が立つ」=「素晴らしい」であると言ってしまうと、それは誤用だという話になるのである。


P.S.

この話を一言で言えば「興奮」である。この問題は、ただひたすら興奮を求める最近の風潮もあるんじゃないかなあと思う。興奮がなく落ち着いていることは良いことであり、興奮するということは本来は身体にとって良くないことである。このあたりが「鳥肌が立つ」で感じる違和感の原因ではないかと思うのだ。