「答えを教えて欲しい、そうすればうまくやってのけるのに」。進んでいる他国や他社から熱心に学ぶ姿勢は、かつて日本人の長所であったが、現在は短所になっている。「答えのない世界」に今、我々はいるからだ。ではどうすべきか。それを考える一助として、大前研一氏が2006年10月25日に「『答えのない世界』を生き抜く鉄則」と題して行った講演の内容を紹介する。これは、日経コンピュータ創刊25周年記念セミナー「ITがもたらすビジネス・イノベーション」における基調講演であった。講演時期から8カ月あまりが経過しているものの、講演に込められたメッセージは不変・普遍である。(写真:栗原 克己)
おはようございます。日経コンピュータ創刊25周年、誠におめでとうございます。25周年ということですから、この25年間に起こった世界の色々な出来事を私なりに考えてみます。いかにこの世の中の変化が激しいか、また変化の勢いがいかに加速しているのかが分かります。いい機会ですので、皆さんもこの25年間、どんなことが起こったのか、ぜひご自分で考えていただきたいと思います。
さて25年前の1981年、世界最大の会社はどこだったでしょうか。答えはアメリカのAT&Tです。その後1984年にAT&Tは分割されてしまい、今ではもうありません。2005年に、もともとAT&Tから分離されて誕生した、ベビーベルという地域通信会社の1社(SBCコミュニケーションズ)に買収されてしまったからです。買収した会社が社名をAT&Tに変更したので、その名前だけはなんとか残っていますけれど、会社としては無くなってしまった。また、25年前、社員数が一番多かった会社はどこだったでしょうか。答えはGMです。現在のGMは社員数を当時の半分に減らしても、まだ利益を確保しにくい状態です。
25年前というと1981年、日米貿易戦争が非常にきつくなっていた時期です。私は、アメリカのテレビ、あるいは衛星テレビで日米貿易戦争の討論をほとんど毎晩のように見ていました。日本企業においては、アメリカと一体どうやっていくかということが大きな悩みになっていたわけです。
今でもあまり変わってないところがありますけれども、当時の日本企業はアメリカにおいて数千件もの訴訟を抱えており、ほとんどの企業がアメリカのビジネスで赤字という状況にありました。ところが、去年(2005年)1年間を見ると、アメリカに進出している日本企業のなんと90%は現地で黒字になっている。まさに隔世の感があります。
1981年から数年がたって、日米貿易戦争に決着をつけるものとして、プラザ合意が成立しました。これが1985年のことです。1985年というのは、本日の講演テーマとも関係しますけれども、21世紀のことを考えるのに、実は起点となる年なんです。1985年に、21世紀を左右する色々なことが起こった。こういうふうに考えていい。その一つは、日本が非常に辛い思いをしたプラザ合意です。プラザ合意の時、1ドル235円だった円が、1994年には84円にまでいってしまう。かつての1ドル360円の固定相場の時代に比べ、実に4倍もの円高に見舞われたわけです。
今、韓国や中国が貿易黒字になっておりますけれども、仮にウォンや人民元が4倍の強さになったらどうでしょう。これらの国はかつての日本とは違って、おそらく生き残れません。日本企業が1985年以降、20年間にわたって、いかにイノベーションやコストダウンに取り組んできたかということです。世界のあらゆるところで、円だけによらない、私が当時よく言っていた言葉で言いますと「カレンシー・ニュートラル」、つまり為替がどんな値段になっても利益を出す、ということに日本企業は取り組んできた。だから今日、非常に好調というわけです。この20年間の苦労と学んだことを、次の世代はしっかり受け継がないといけない、こういうふうに思います。
韓国と中国について、もうすこし見てみましょう。今の1ドル1000ウォンから255ウォンになったとき、韓国で生き残る企業がいったい何社あるか。答えはゼロです。今の若干の円安状況において、韓国企業はアメリカ市場で日本企業に対する競争力を失っていますから。基幹部品と工作機械を輸入して組み立て加工する、しかも最近では韓国内ではなくて、紅海を渡った反対側の沿海とか、天津、青島で組み立て、それから釜山経由で輸出し、韓国から出荷したことにしている。こういう“パススルー経済”の韓国は、4倍のウォン高には、ほぼ確実に対応できないと思います。
中国の場合、儲かっている会社は、人民元と労務費の安さに支えられていますので、これが例えば4人民元が1ドルと今の3倍ぐらいになってくると、おそらく間違いなくほとんどすべての中国の企業家は国内志向になるでしょう。デベロッパーになって土地で儲けるという、商業資本の方に戻るわけです。今、中国では、工業資本がようやく芽生えつつありますけれど、そういうふうになってしまう。
自国通貨が強くなっても、対外競争力を失わなかったのは日本とドイツだけです。繰り返しますけれども、こういった貴重な経験を今の我々世代とその次ぐらいの世代までの人たちは、次のさらに若い世代に伝えていかないといけない。このように思います。