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無題

これは追悼文ではない。いま私は腹を立てている。岡本顕一郎氏が亡くなったと聞かされて腸が煮えくり返っている。混乱している。本当は悔しくて悔しくてどうしたらいいのか分からない。それでも「人気ブロガーが刺されて死亡」などの見出しを見ると、おかしな誤解が増えるのではないかと不安になる。「あれだけ無謀な活動をしていたのだから本望だろう」みたいな意見を見ると叫びたくなる。いま私は、私の知っている岡本顕一郎氏がどんな人だったのかを誰かに聞いてほしくて仕方ない。仕方ないから書いてる。これは追悼文じゃない。ただの八つ当たりだ。書き殴りだ。構成も何も考えてない。間違いなく読みづらいものになる。ぐちゃぐちゃになる。その点を先に謝っておきたい。

自分が故人とどれだけ仲良しだったのかをアピールするつもりはない。長い付き合いのある仲間だったと言うつもりもない。彼のことは何でも知っているとか少しも思わない。私は、ただ岡本氏に使ってもらっているだけの下請けフリーランスライターの一人だった。フリーライターの立場なんか底辺と言っていい。いつでも簡単に首を切られる、都合が悪くなれば責任を押し付けられて仕事を外される、その退職の理由に関しても取引先に嘘をつかれる。そういう虫けらみたいな人材でしかない。

私が何よりも伝えたいのは「そういう虫けらに対して、岡本氏がどれほど誠実だったのか」という点だ。私にとって岡本氏は、いま日本にいる人の中で誰よりも信頼できる仕事相手だった。彼が亡くなったばかりだから感情的になって讃えているのではない。この数年間、特に2016年以降の私はスプラウトの岡本氏だけを信頼して働いていた。他社からダイレクトに依頼された仕事でも、ある程度の規模になった場合、できるだけ彼に関わってもらうように頼んでいた。実際、私が昨年度に得た収入の7割以上は何らかの形で岡本氏を通している。私からお願いして、そうしてもらっていた。

ウォッチャーとしてのhagex氏は「ネットの暗黒面を面白おかしく取り上げる、ちょっと胡散臭い人」のようなキャラクタに結び付けられてしまっているかもしれない。おそらくは人を食ったような態度で、からかう相手を見つけるのが上手で、みんなが面白がりそうなものを野次馬的に取り上げて喜ぶ人だったのだろうと。そういう印象を持ってしまった人がいるかもしれない。

岡本氏はぜんぜん違った。髪型やファッションは少しふざけているようにも見えたけれど。私が知るかぎりで言うなら、あれほど丁寧で真面目な仕事をする人は滅多にいなかったし、呆れるぐらいの紳士で、いつも弱い立場の人たちを大事にしていた。生きるのが下手な人の味方だった。たとえばコミュニケーションが得意ではない技術職の人や、自分の権利を主張できない人。あるいは私のようにどうしても請求書が書けないという理由でうっかりタダ働きしてしまうバカに、とことん親切だった。そして「そういう人たちの成果を横取りする能力」に長けた華々しい人たちの行動を見逃さなかった。世渡り上手で中身が空っぽの人たちを嫌っていた。「影響力のある有名人に媚びて、弱そうな連中を鼻で笑うタイプ」の対極にいるような人だった。

「まあ現実がどうであれ、ネット上でのhagexは、注目を集めるためなら何でもやるような下世話な男だったんじゃないのか」という方がいるかもしれない。私の意見を言わせていただくなら、岡本氏に限ってそれはない。彼は、そういう「流れ」を意図的に起こすための手法を誰よりも知っている人の一人だからだ。たとえば彼は、Twitterのフォロワーを安く大量に仕入れる方法、自分の書いたものが注目記事として扱われるようにするための細工、まるで人気者のように見せかけるための手法みたいなものを幅広く知っていた(技術的にもSE的にも)。そういう手法に頼って自分を大きく見せようとする人たちを見分けるのも上手だった。だから岡本氏は「ネットでの注目や人気」なんか大して信用していなかったし、その虚しさを誰よりも分かっていたと思う。大量のアクセスだなんて、いまさらそんな安っぽいもので喜べるほど、彼はレベルの低い人ではなかった。過激な行動に走りがちなのは、ただ好奇心に突き動かされていたせいだろう。

hagex氏の活動にネガティブな印象を持っている人には、もう一度、hagex氏の名義で書かれたものをちゃんと読んでほしい。彼の紹介してきたお笑いスレッドではなく、「彼が書いたもの」のほうだ。圧力で人々をコントロールしようとする輩や、嘘を広めることで感情を弄ろうとする輩の脅しを屁とも思わない態度が現れているから。それは私が知ってる岡本氏とhagex氏の最大の共通点だ。「人をからかったのだから自業自得だろう」とか、「hagexが煽ったのだから仕方ない」とか思っている人は、何が起きたのかをちゃんと読んでほしい。ぜんぜん違うから。本当に違うから。犯人が恨んでいたのははてなだった。岡本氏は「東京のはてな本社まで行くのが面倒だった犯人」の標的にされてしまっただけで。

いや、もう、そんな話はどうだっていい。そういうのは他の人に任せたい。私はhagex氏ではなく岡本顕一郎氏の話をしたい。私が大好きだった岡本編集長の話をしたい。一緒に働いてて、あんなに楽しい人はいなかったと断言できる岡本編集長の話をしたい。

私には滅多に日本へ行く機会がないので、現物の岡本氏に会えた回数は十回にも満たなかったと思う。それでも私は何年も前から週一度、月曜の昼に岡本氏とSkypeで一時間の打ち合わせをしていた。その打ち合わせは楽しかった。今週の業務の話が五割、ネットやセキュリティに関する情報交換が四割、雑談が一割という感じだった。私は岡本氏がhagex氏であることを知っていた。だけど「hagex氏と会話している」という実感は少しもなかった。どちらかが良かったとか悪かったとかいうのではない。

どう表現すればいいのだろう? とにかくキャラクタが違った。たとえばhagex氏が昨年末に執筆した同人小説の中には、少々猥褻でストレートな表現が出てくる。しかし岡本氏は、何をどう間違ってもそんなことは言いそうにないぐらい、本当に驚くほど紳士的な人だった。私が「『ハゲテルの悩み』、読んじゃいましたよ」と本人に伝えると、岡本氏は「僕の下品な一面を知られるのは、むちゃくちゃ恥ずかしいです」と言った。そういう人だった。岡本氏がスマートスピーカを買ったときにも、「やっぱり最初は『チンコ』とか言いますよね?」と私が尋ねたら、「普通、40の男はそんなこと言いません!」と否定された(のちに「それを実際に言ったときの興味深い反応」を真面目に報告されたうえ、「これは言われなければ気づきませんでした」と感謝されてしまったので、ああ、岡本氏は本当に一度も言ってなかったんだなと思って私は驚いたのだった)。

岡本氏が人を食ったような態度を私に見せたことは一度もなかった。岡本氏と仕事を始めたときの私は、「岡本氏よりも年上なのに、まだフリーで翻訳とかライターとかやってて、これまで大した実績もなければ技術的な才能があるわけでもない、たまたま英語圏のサイバーセキュリティ事件に詳しいだけのおばちゃん」だった。業界の底辺にいるような人間だ。しかも岡本氏(およびスプラウトの方々)と私は何の面識もなかったので、最初の一年は一度も顔を見たことがないまま一緒に仕事をしていた。それでも岡本氏は、いつだって私の仕事をプロの仕事として尊重してくれていた。私の書くものに口を出したり、上から目線でアドバイスをしたりすることはなかった。「アクセス数なんてどうでもいいんです。PVよりも内容です」「なるべく好きなものを好きなように書いてください、僕がそれを読みたいんです」「勢いがついたときは長くなって構いません、そういうときの江添さんが書くものは、記事というよりも読み物として面白いんです」「何かあったら僕が責任をとりますから心配しないで」。岡本氏は口癖のように何度も言ってくれていた。美談として誇張しているのではない。本当に、岡本氏は、そう言っていた。

私は岡本氏の言葉を真に受けてしまっていたので──そして、そんな素敵な条件で書かせてもらえる機会は他になかったので──、私の書く記事はどんどん長くなった。気がついたら「2000文字程度」という原型のスタイルは跡形もなく崩れ去り、いつのまにか6000文字ほどの長さになり、結果的には数万文字の規模になったことも一度や二度ではなかった。「ごめんなさい。また長くなっちゃいました」と私が言えば、岡本氏は「今回は伸びるだろうと予想してました。どれぐらいになりましたか」と楽しそうに尋ねてきた。「たぶん予定の10倍ぐらい」と答えれば、「また、とんでもないのを書きましたね!」と言ってゲラゲラ笑った。「許容できる文字数まで削りますから」と言えば、「なに言ってんですか、こういう無茶ができるのはウェブのいいところです。僕はライターが面白がって書くものをそのまま載せます」と言って、唐突な集中連載という形にして対応してくれた。なんの後ろ盾もない無名のライターを相手にしてだ。そのたびにトップ画像を作りなおしたり増やしたり調整したりして苦労させられていたのは編集長だった。岡本氏はそういう人だった。

これだけ世話になっていたにもかかわらず、私は昨年の冬、岡本氏に相談することもなく仕事をやめようと決めた。岡本氏に辞意を伝えたのは、いま通っているカレッジの入学申請手続きを済ませてからだった。「今後はセキュリティでも文筆業でもなく、カナダで教育に携わるために専門学校で勉強します」というのは、あまりにも突飛すぎて理解されないだろうと予想していた。しかし岡本氏は小言ひとつ言わずに私の話を聞いたあと、「そこまで興味があるんなら、やらないと後悔しますよね」と応援してくれた。そのうえで、「これからは勉強の邪魔にならない範囲、新しい仕事の邪魔にならない範囲で書いてほしい」と提案してくれた。「セキュリティのニュースは流れが速いので、仕事の頻度を減らせばすぐに追いつけなくなりますよ」と私が笑っても、「僕がサポートします」と言ってくれた。いくらでも取り替えられるようなフリーのライターを相手に、そこまで言ってくれたのだ。

ついでに言えば、昨年の私は、自分の勝手な都合でThe ZERO/ONEの仕事を何本かキャンセルしなければならなくなっていた。これは私が、スプラウトとは何も関係ない新書「犯罪『事前』捜査」の執筆時間を甘く見積もっていたせいだった。しかし岡本氏は怒らなかった。「その新書の著者紹介欄には『闇ウェブ』の名前も出ますよね。それで闇ウェブを読んでくれる人が増えたら嬉しいですから、面白いのを書いてください」と言ってくれた。その心の広さにすっかり感動した私は、「犯罪『事前』捜査」のあとがきで、岡本氏への感謝の言葉を記した。それを知った岡本氏は「あんな、いきなりフルネームで書かれたら恥ずかしいですよ!」と大声でおっしゃった。岡本氏は、そういうところが控えめだった。

もういちど言わせてほしい。私の知っている岡本氏は「ネットで有名になって、調子に乗って殺された悲惨な四十代ブロガー」ではない。最高にいかした編集長だった。さんざん荒波に揉まれて、特殊な環境で鍛えられて、いろんな裏情報を知っていて、ここには書けないような局面をいくつも乗り越えてきた珍しい人なのに、それを武器にして威張らなかった。決して知ったような口は叩かず、人を威嚇せず、上から目線で語らず、イキがらず、横柄な態度を見せない、出しゃばらない人だった。

これは私から見た岡本氏の姿だ。もっと対等な立場の人、もっと影響力のある偉い人から見れば印象は違ったかもしれない。そういう人たちから見たときの岡本氏は、もしかしたら生意気なところもあったのではないかと想像できる。また、最初からバリバリのセキュリティ畑で育ってきた専門家から見れば、技術的な知識に甘いところがあったなどと評価されるのかもしれない。だからこそ書いている。岡本氏の凄さは、そっちじゃなかったと思っているからだ。

私は、岡本氏が「仲良くしても得にならないように見えるダメな人たち」をどれだけ根気よく守ってくれていたのかを知っている。私のように請求書を出す程度の事務作業すらろくにできない、かといって若いわけでも可愛いわけでもない、本当にどうしようもない中年女のライターでも、立派なプロとして扱ってくれていた。無意識レベルのミソジニスト発言をすることもなければ、値踏みをするようなことも全くなかった。私はことあるごとに、「どうだっていいことで悩まないでください、自信を持ってください、とにかく書いてください、この話題は江添さんが執拗に書けば必ず面白くなるんです。僕にそれを読ませてください」と励まされていた。インターネットの暗い部分を様々な側面から知っている岡本氏にそんなことを言われてしまったら、もう書かないわけにはいかなかった。ある時期から私は、ほとんど岡本氏を喜ばせるためだけに記事を書くようになっていた。もはやPVもコメントもまったく気にならなくなっていた。次の打ち合わせのときに、岡本氏がどれぐらい褒めてくれるか、それだけを考えていた。この先、どんな記事を書いても喜んでくれる人なんて一人もいないように思えて仕方ない。

悔しい。本当に悔しい。岡本劇場が終わってしまった。

けっこう前から岡本氏は、大掛かりで前例のないことを計画していた。私は「いま岡本氏が進めていること」を知っていた。その夢を岡本氏が叶えることは、私にとってレギュラーの仕事がなくなることでもあったのだけれど、私はそれを応援していた。彼のやろうとしていることは、私から見て「日本のサイバーセキュリティに変化球の貢献をもたらしそうなこと」で、なおかつ「面白そうなこと」に見えたからだ。そして私自身、新しい仕事を始めるための通学を開始した立場だったので、彼を応援するのは当たり前だった。

私は毎週日曜の夜、その計画の進捗状況を聞かせてもらっていた。まだ言っちゃダメですよ、と岡本氏がこっそり教えてくれる話は恐ろしく刺激的だった。岡本氏と私は、その成り行きを「岡本劇場」と呼んでいた。最近の打ち合わせ内容は「岡本劇場の進捗状況」と「私のカレッジの成績」を報告しあうことに偏っていた。「立ち上げの直後は忙しくて資金もないけど、やっぱり僕はメディアをやりたい。きっと月一ぐらいの頻度でしか依頼できないし、原稿料も安くなりそうだけど、また書いてほしい。江添さんのカナダでの仕事が落ち着くタイミングに間に合えば、お互いちょうどいいんですよね」と岡本氏は言ってくれていた。私は「岡本さんのとこなら、しばらくは五百円でも書きますよ」と笑っていた。ほんの二週間前のことだ。

私が岡本氏と一緒に続けてきた仕事には、先日いったんの終止符が打たれていた。だけど岡本氏と私は二人とも、これまでとは違うことを始めようとしていた。だから私たちは「お疲れさまでした。これからもよろしくお願いします」と言い合ったばかりだった。私は、その「これから」を楽しみにしていた。こんどの岡本氏との仕事はどんな感じになるのか、ぜんぜん想像がつかなくてわくわくしていた。もうちょっと待てば、それが始まるはずだった。あと少しだった。今年の年末に私が帰国するときは、秋葉原にある安居酒屋で、新しい出発をお祝いしましょうと話していた。ほんの一週間前のことだ。

私が知っている岡本氏とhagex氏は、常に好奇心が剥き出しで、気になるものはどれだけ面倒くさくても放置できなくて、長いものに巻かれようとしない点が共通していた。でも、それだけだ。完全に別の人だ。亡くなってしまったのはhagexさんのほうで、岡本さんは死んでない。死ぬわけがない。そう思わないと気が狂いそうなぐらいに私は岡本さんが好きだ。

私が岡本さんに与えた影響なんて塵ほどもないだろうと思う。だけど岡本さんは私にとって、たった一人だけ、毎週バカな話につきあってくれる友達みたいな存在でもあった。特に昨年の私は完全に引きこもりライターとして働いていたから、ちょくちょく話をできる相手なんて本当に岡本さんぐらいだった。それでも充分だった。セキュリティの話も、ネット事件の話も、ぜんぜん関係ない雑談でも、岡本さんと話すのはぜんぶ楽しかったのだ。こないだだって「なに言ってんですか江添さん、それ少しも恥ずかしくないです、『ヒルコ妖怪ハンター』は名作ですよ」って。

ダメだ。岡本さんのことすげえ好きだ。人間として好きすぎる。こんなの受け入れられない。