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東アジア討論室 175796


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スレ「卑弥呼と天照大神」

1:米田 :

2025/01/07 (Tue) 17:42:45

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1736239366.png

│卑弥呼論 - 当世奇妙
│2025/01/06 (Mon) 19:45:30

│倭の五王のスレッドで卑弥呼は誰かなどで
│盛り上がっている。
│出来れば「卑弥呼とは何か?誰か」などの
│「卑弥呼論」スレッドが期待される。

│これは大変興味深いテーマである。
│安本氏の数理学的推論の卑弥呼=天照大神論は
│成立するかも興味ある。

│米田さんが今までの「卑弥呼論」を整理して頂けるとありがたい。

12:p君 :

2025/01/18 (Sat) 21:45:54

安本さんが実在確かな天皇とされる用明天皇から20人後、30人後の平均在位を計算し、
さかのぼって、卑弥呼とは何天皇の時代なのかを検証します。

・585年即位・用明天皇
(※用明天皇586年即位としても1年違いですから結果に大差はないと思われます。)

用明天皇以降20人は、用明、崇峻、推古、舒明、皇極=斉明、孝徳、天智、弘文、天武、
持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙=称徳、淳仁、光仁、桓武、平城、嵯峨

用明天皇から20人後は52代嵯峨天皇で823年まで在位。
823から585を引いたら238年間です。
238年間を20人で割ったら11.9年。
平均在位11.9年で神功皇后を含めて21人遡った神武即位は216年。


・用明天皇以降30人後は、上記に10人、淳和、仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐、朱雀、村上。

用明天皇以降30人後は62代村上天皇で967年まで在位。
平均在位の12.73年で神功皇后を含めて31人遡った神武即位は190年。
11:p君 :

2025/01/13 (Mon) 11:37:07

「5世紀から8世紀ののべ20人の天皇の平均在位が10.88年であるという、
その5世紀の天皇が誰なのか、その根拠を何一つ明らかにされておられません。
これなら検証しようがありません。
5世紀で即位年が明らかなのは雄略天皇で457年でしょうから、
そこから20人の、私が計算した平均在位は12年になります。」
----------------------------------


20人の天皇という事ですが、20人は平均を採るには少ない気もしますので、30人も採ってみます。
まず20人です。

・457年即位・雄略天皇
雄略天皇以降20人後は重祚一人も計算すると41代持統天皇で697年まで在位。


雄略、清寧、顕宗、仁賢、武烈、継体、安閑、宣化、欽明、敏達、用明、崇峻、推古、舒明、皇極=斉明、
孝徳、天智、弘文、天武、持統。

これで20人ですね。

雄略天皇即位457年から持統天皇退位697年までは240年間です。
それを20人で割ると12年になります。
そして平均在位の12年で神功皇后を含めて21人遡った神武即位は207年。


次に30人です。

・雄略天皇以後30人は重祚が二人いるので52代嵯峨天皇で823年まで在位。

上記の持統天皇以降10人は、
文武、元明、元正、聖武、孝謙=称徳、淳仁、光仁、桓武、平城、嵯峨。

雄略天皇即位457年から嵯峨天皇退位823年まで366年間です。
それを30人で割ると12.2年です。

平均在位の12.2年で神功皇后を含めて31人遡った神武即位は201年。

安本氏の10.88年というのは、どこから出てきた数字なのかわかりません。

上記、雄略即位から20人後、30人後の平均在位からさかのぼって計算した神武の時代は、卑弥呼の時代であることがわ分かると思います。

神武と卑弥呼は同時代です。
10:p君 :

2025/01/12 (Sun) 20:04:32

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1736679872.jpg 卑弥呼の系図については何度か貼らせていただいてますが、「日本書紀」、先代旧事本紀・巻第四「地祇本紀」、富士山本宮浅間大社「和邇氏系図」を合わせれば、卑弥呼、卑弥呼の死後の千人が死ぬ騒乱の男王、トヨが見えてきます。
9:p君 :

2025/01/12 (Sun) 19:33:51

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1736678107.jpg >安本氏の数理学的推論の卑弥呼=天照大神論は
>成立するかも興味ある。

成立しないと思います。
安本氏は数理学といいながら、自身が言われている、
5世紀から8世紀ののべ20人の天皇の平均在位が10.88年であるという、
その5世紀の天皇が誰なのか、その根拠を何一つ明らかにされておられません。
これなら検証しようがありません。
5世紀で即位年が明らかなのは雄略天皇で457年でしょうから、
そこから20人の、私が計算した平均在位は12年になります。
これについてはまた書きこみます。

卑弥呼が誰なのかについて、昨夜のfacebookでの書きこみを貼らせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

卑弥呼とは誰なのか。

卑弥呼(Bei mei hu)とは比咩后(Bi mie hou)、比売后〈Bi mai hou〉、つまりヒメ后.。

大阪では今日までが「えべっさん」ですが、卑弥呼とは「えべっさん=事代主」の娘さんです。
(画像)この画像が分かりやすいと思うので、管理人さんは貸さないといわれるかもしれませんが、勝手に画像をお借りします。

ヒメ(蹈鞴五十鈴)媛と、跪(ひざまず)いている、宮崎県日南市から来た入り婿の神武と見なせばわかりやすいと思います。
跪(ひざまず)いている神武などと言うと、一部の人から天皇を貶めるなと言われるかもしれませんが、私はこれが史実だと思います。
神武東征紀はどう読んでも、九州から来た壮大な入り婿の話だからです。
左に座っている白い服の人物が、大和での神武の義理兄になる天日方奇日方です。
日本書紀で鴨王(かものきみ かものおおきみ)と表記されている人物で、えべっさん=事代主の息子さんになります。
もちろん、この絵はそんな場面を描いたものではありませんが、そう思っていただくとわかりやすいと思います。

魏志倭人伝の卑弥呼の私の解釈を以下に書きます。

【年已長大 無夫壻】
「歳すでに長大である。夫はいない」

これは夫である神武に先立たれてからのヒメ(蹈鞴五十鈴)后の姿でしょう。
長大とはおばはんという意味ですから、平均寿命が40歳に満たない当時、30歳くらいでおばはんになったでしょう。
今でも女子高生から見れば30歳はおばはんですけどね。

【有男弟佐治國】

神武の義理兄になる天日方奇日方のことだと思います。
中国には女弟という熟語もあるので、
この男弟とは「弟 younger brother」ではなく、
「徒弟apprentice」「臣下vassal」「部下subordinate」と見ます。
ならば彼女に代わり政治を行ってたのは、この絵の左の人物、実兄の天日方奇日方命でしょう。
というかヒメヒコのことを言ってるのでしょうけど。

【唯有男子一人 給飲食 傳辭出入】

この男子一人とは、神武の連れ子であり、ヒメ(蹈鞴五十鈴)后の義理の息子であるタギシミミ一択でしょう。

【事鬼道 能惑衆 】

ヒメ(蹈鞴五十鈴)后は大和にいた出雲系の女性ですから、この鬼道は銅鐸祭祀と見ます。
彼女の住んだ奈良県御所市からは最古級の銅鐸も出ております。中国側が中国発祥の鏡による祭祀を鬼道などとは呼ばないと思います。
8:石見介:

2025/01/10 (Fri) 21:00:24

 p君さん他、どなたかが、コメントされると思っていましたが、未だないので、他トピに投稿する余力がない状況ですが、とりあえず、私が、コメントします。

 まず、安本美典氏の所説については、私は、疑問を感じています。私は、日本古代史については、大学卒業時の、古田武彦氏の『邪馬台国は無かった』を読んで、関心を持ったことから、のめりこんだので、当初は、古田説の信奉者でしたが、以後、読書を繰り返すうちに、邪馬台国近畿説に、転向しました。
 古田説からの転向というか、脱却には、安本美典氏の著作を、読んだことが、大きく影響しています。古田氏の著作も、『盗まれた神話』他、購読しましたが、安本氏の著書は、10冊以上、購読しています。

 安本氏の天照大神=卑弥呼説に対する疑問は、神話伝承と、歴史を、安易に結びつける手法に対する疑問です。シュリーマンのトロイア発掘を、例証として、神話と歴史を結びつけるのであれば、類似の神話を持つ、他の民族の歴史において、直接的に結びつかない、天神・天孫降臨神話を有する例は、遥かに、多いのです。
 また、神話に現れる都市は実在しても、神話上の、英雄個人の存在、神の存在が、実在の歴史上の人物と、特定された事にはなりません。

 文献的にも、『隋書俀国伝』と、記紀神話は、明らかに矛盾します。
 言語学、国語学について、安本氏の主張に、かなりの説得力を認めますが、「天照大神」という神名は、美称、尊称であり、「女神」「男神」あるいは、「太陽神」である事すら、保証しません。

 同様に、「卑弥呼」も、「日御子」「霊巫女」「姫みこ」のような美称、尊称の可能性が高く、個人名か否かも、不明です。
 古代の大王の平均在位年数の算出も、系譜自体に信頼性がない以上、無意味です。

 私は、安本氏の、計量言語学的手法や、甘木朝倉地域の地名と、大和の地名の類似等、評価していますが、天照大神=卑弥呼説は、飛躍が多いと感じ、評価していません。

                                                                                                                             
7:米田 :

2025/01/08 (Wed) 21:51:20

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1736340681.png
│スレ「卑弥呼と天照大神」
│2025/01/07 (Tue) 17:42:45


:せっかく年表を作ったので、
:一部を拡大して加筆しました。
:「天照大神と出雲」という観点から、
:「出雲の国譲り」に焦点を当ててみました。

:議論のたたき台として使ってもらえると嬉しいです。
6:米田 :

2025/01/07 (Tue) 23:57:12


│出来れば「卑弥呼とは何か?誰か」などの
│「卑弥呼論」スレッドが期待される。

:大河ドラマ「光る君へ」が終わりました。
:系図解読の上でも、勉強になることがたくさんありました。

:(藤原道長)
:「右大臣や左大臣は、やめさせることが出来ないんだ。彼らは、
: 自分で辞めるか、死ぬしかでないと、やめられないんだ」

:この言葉、凄いですね。さて、Wikiによると、主君は、
:円融天皇→花山天皇→一条天皇→三条天皇→後一条天皇、と、
:5人の天皇に仕えています。
:(官歴)
:長徳2年(996年)(一条天皇)
:7月20日:正二位に昇叙し、左大臣に転任。
:長和5年(1016年)(後一条天皇)
:12月7日:左大臣を辞任

:ここで、私の妄想が始まります。(時は、長和5年。)
:左大臣の藤原道長が、朝貢の使者として中国に行きます。
:そして、中国の皇帝から尋ねられます。
:「藤原道長よ、お前を左大臣に任命したのは、だれか?」
:別の質問を考えます。
:「お前を、朝貢の使者に任命したのは、だれか?」
:答えは、「天皇(我が主君)です。」これを正確に云うと、
:前者の答えは、「一条天皇」。後者の答えは、「後一条天皇」。

:ここからが、本題に入ります。
:「難升米よ、お前を大夫に任命したのは、だれか?」
:と、
:「難升米よ、お前を使者に任命したのは、だれか?」
:前者も後者も、答えは「ひめみこ」だろうと思います。
:しかし、別の答えもあるような気がします。
:例えば、
:前者の答えは、(234年に亡くなっている)「女王卑弥呼」。
:後者の答えは、(248年に亡くなっている)「天豊津媛命」。

:私が、卑弥呼は234年に亡くなっていると考える理由は、
:ここにあります。
:この違いを、新羅本記の編者は、173年の記事(女王卑弥呼)で、
:分かっていたのではないだろうか。
5:米田 :

2025/01/07 (Tue) 23:20:20


│(2chの掲示板)16:日本@名無史さん:2005/11/17(木) 09:14:42
│(「16/YXRFBRM」氏が発見したシンメトリック論)
│孝霊紀から壬申紀までは「133/60/68/99/121/121/99/68/60/133」
│と区切れて面白い
│(注:133+60+68+99+121 = 481 = 60×8 +1= 37×13)


:「日本国」を「百済・高句驪・新羅・伽耶・倭国」の集合体と
:して見ると、孝霊天皇(天日槍)は、何かと考えてみます。

:難升米(梨迹臣命)が、ポスト卑弥呼の王として即位したが失敗。
:孝霊天皇(天日槍)は、(魏・楽浪郡太守の代行者として)
:「台与」のパトロンとして、(即位・擁立を)取り仕切った。

:結果的に、孝霊天皇(天日槍)は、天武天皇の祖先になります。
:そのため、「日本国」の始祖(開祖)は、孝霊天皇(天日槍)
:にしたようです。(シンメトリックの始点です。)

:日本書紀の編纂の初期の段階(構成の段階)では、
:孝霊天皇(天日槍)から、歴史が始まっています。
4:米田 :

2025/01/07 (Tue) 23:12:12

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1736259133.gif 安本美典氏の「邪馬台国に関する仮説」を考察してみます。


│(その3)
│記紀では高天原は九州にあったとされるため
│邪馬台国は九州である。
│神武天皇の東征などは基本的に事実を基にしているはずである。


:「高天原」の原初風景は、「正見母主」の加耶になります。
:「正見母主」の後は、いろいろな場所(半島・出雲・九州)が
:「高天原」になります。

:「神武天皇の東征などは基本的に事実を基にしている」について。
:「風土記」では、伊勢の国は、「天日別」が平定したことに
:なっています。
:また、神武天皇の二人の后が、ヤマトに居を構えたことは、
:事実のようですが、神武天皇は、通過しただけで、逗留・定住は
:していないようです。
:そもそも、異母兄の帥升(遂成)が、高句麗の次大王に即位して、
:異母弟の神武天皇が倭国の王として、ニギハヤヒ・ナガスネ彦・
:事代主命が、九州から関東に向かって、勢力拡大をしています、
:その後、事代主命の子「天日方奇日方命」は、国相明臨答夫として
:神武天皇の高句麗「新大王」への即位(165年)を助けています。


│(その4)
│欠史八代の天皇など、架空とされた天皇は実在する。
│天皇の在位年数は、時代を遡るにつれて短くなる傾向がある。
│多くの天皇が実在しないと仮定するよりも、
│記紀に書いてあるとおり実在し、その在位年数が信じられ
│ないと仮定したほうが、矛盾が少ない。


:そもそも、「天皇制」は、7世紀後半から始まった「制度」です。
:しかも、風土記では「倭建天皇」「市辺天皇」と書かれているにも
:かかわらず、記紀には、彼らは天皇としては存在していません。
:つまり、天皇とされている人物たちは、天武天皇の先祖として、
:記紀の上で、「天皇」として割り振られているだけです。
:ですので、「欠史八代の天皇」を含め、ほとんどの天皇には、
:モデルとしての人物はいます。そして、何人かの天皇については、
:モデルが複数の場合もあり得ます。
:「天皇」の何人かは、「四道将軍」/「丹波道主」の形で
:存在していますので、複数の天皇の併存も実際にはあり得ます。
:だれを天皇にし、だれを天皇にしないかは、記紀の編纂者の
:さじ加減だろうと考えます。(在位年数も同じだろう。)

:「天皇制」が無いのですから、「在位年数」も当然ありません。
:何人かの「天皇」は、韓半島(三国)の「王」を兼任/異動して
:しています。これは、不思議な現象です。


│(その5)
│平均10年の在位で計算すると欠史八代の天皇の前が
│神話の時代に相当し、卑弥呼の時代が天照大神に相当する。
│数理文献学的分析によると古代の王の在位の平均は約10年である。
│記紀では欠史八代を直系相続としているが、実際は兄弟相続
│だった可能性もあり不自然ではないとする。


:風土記には、年代で「干支」と在位〇年が、若干使われています。
:また、各豪族の系図も残っています。
:在位年数では、「シンメトリック」という技法(3部作)が
:使われていて、在位年数もトリックの材料になっています。
:シンメトリックは、他のひとによる「再検証」もOKです。

:平均10年の在位では、無理ですが、平均在位が、15~20年でしたら
:下図のような系図は、可能です。


┌───────大王─┐┌───────大王─┐┌─〇〇
┴─皇后─┐┌─皇后─┴┴─皇后─┐┌─皇后─┴┴─皇后
──大王─┴┴───────大王─┴┴───────〇〇

3:米田 :

2025/01/07 (Tue) 17:47:06

https://bbs1.fc2.com//bbs/img/_888000/887932/full/887932_1736239627.png
安本美典氏の「邪馬台国に関する仮説」を
考察してみます。


│(その1)
│日本神話は実際の歴史上の出来事が伝承として伝わったもので
│ある。

:この部分は、同意です。

│(その2)
│高天原は邪馬台国で天照大神は卑弥呼である。天の岩屋戸の
│伝承は卑弥呼の死と台与の相続を暗示したものである。

「邪馬台国」の語源としては、
:(ヤマタノオロチ)⇒「やまた(い)のオロチ族」や、
:九州の「耶馬渓」などが考えられます。
:新羅では、王統が途切れると「国号」は、変更されます。
:倭国でも、何度も(男系の)王統は、途切れています。ですので、
:「邪馬台国」という「国号」に意味を持たせる事には、反対です。

「歴史上の出来事が伝承する」ということ
:「歴史上の出来事が伝承する」時には、
:その伝承を伝えてきた部族の人物「〇〇が族長の時」
:というフレーズが一緒に付加されます。

:つまり、中臣氏の先祖(朴氏)では、
:「天照大神」では、そばに「天児屋根」が、います。
:「神武東征」では、そばに「宇佐津臣」が、います。
:「卑弥呼」では、「難升米」は「梨迹臣命」がいます。
:これが、「歴史上の出来事が伝承する」ということです。

「卑弥呼の死と台与の相続」
:まず、この設定は、間違いです。正しくは、
:「卑弥呼」の死後、男王を立てた。
:(おそらく、その男王は死んだ)
:次に、卑弥呼の宗女である「台与」を立てて王とした。
:これは、次(掲載図の系図)のようになります。

:天日槍(孝霊天皇)は、半島・九州側と近畿側をまとめて、
:孝元天皇と「台与」を結婚させることにして、
:天日槍(孝霊天皇)は、半島に帰っていった。

2:米田 :

2025/01/07 (Tue) 17:44:27


│卑弥呼論 - 当世奇妙
│2025/01/06 (Mon) 19:45:30

│これは大変興味深いテーマである。
│安本氏の数理学的推論の卑弥呼=天照大神論は
│成立するかも興味ある。


「安本美典(やすもと びてん)」(ウィキペディアより)

:邪馬台国に関する仮説
:邪馬台国や古代史問題について次のような仮説を展開している。
(その1)
:日本神話は実際の歴史上の出来事が伝承として伝わったもので
:ある。トロイ戦争など神話だと思われていたことが
:実際の出来事に基づいている例は多い。
(その2)
:高天原は邪馬台国で天照大神は卑弥呼である。
:天の岩屋戸の伝承は卑弥呼の死と台与の相続を暗示したものである。
(その3)
:記紀では高天原は九州にあったとされるため邪馬台国は
:九州である。
:神武天皇の東征などは基本的に事実を基にしているはずである。

(その4)
:欠史八代の天皇など、架空とされた天皇は実在する。
:天皇の在位年数は、時代を遡るにつれて短くなる傾向がある。
:多くの天皇が実在しないと仮定するよりも、
:記紀に書いてあるとおり実在し、その在位年数が信じられ
:ないと仮定したほうが、矛盾が少ない。
(その5)
:平均10年の在位で計算すると欠史八代の天皇の前が
:神話の時代に相当し、卑弥呼の時代が天照大神に相当する。
:数理文献学的分析によると古代の王の在位の平均は約10年である。
:記紀では欠史八代を直系相続としているが、実際は兄弟相続
:だった可能性もあり不自然ではないとする。

これらの仮説から次のように考えることができる。

卑弥呼と天照大神は同一視できる。『魏志倭人伝』のなかの
地名との類似から邪馬台国九州説が有力である


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