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AC、人格障害関連

ACの双方向性

 これまで私はACについて親の環境だけから説明してきた。すなわち見捨てられ不安を利用した親からの「支配」の結果としてのAC的な認知と行動という説明が中心だった。

 しかし他方で、「本人がACにしがみつく」ということも実は頻繁に見かける。これは実はACには本人のほうにも楽(ラク)な、エサ、アメとなる側面があるからであるということが分かってきた。

 ACが定着して、多くは母子の間でAC的な共依存関係が確立すると、一種の定常状態となり、そこから外へと抜け出ることが困難となる。それは、簡単に言えば「抜け出る道は不安につながる」からだ。

 もともと人は生きていくうえで将来は分からないし、他人の心の中も分からないし、その意味での不安は「当たり前」にあるものだ。

 対してACの世界にはこの不安は無い。例えばASの絶対的な「愛着」に支えられることは少なくとも一時的にはAC的な不安を解消するだろう。

 子供の頃からこの共依存が当たり前で成長したとすると、AC的共依存から抜け出る道は全て「未知なる大きな不安」に直面することを覚悟せねばならず、ACから回復する、自立すること自体に大きな抵抗が生じることになる。

 こうして被害者であるはずの子供の側にも「(支配はされても、人格を否定されても)不安が無い」という楽なエサ、アメを捨てきれない事情が生じるという意味でACは「双方向的」な現象でもあるのだ。


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コメント

    • むーん
    • 2008年 9月 23日

    ・・・これはすごく手厳しいが言えてます。
    私の場合も、AS元彼が無理にも「侵入」して来なければ、母親との添い寝(異常ですが)の「楽」さから文字通り体が反発するまで逃れられなかったと思うし・・・
    (それだけじゃなくて、母は私のPC上の活動を全部自分のPCから監視し、一々助言を与えるという「飴と鞭」状態でした・・・後に、ジェイゾロフトを投与されてハイ状態の時に母のPCぶっ壊しちゃいましたけど。・・・そうすると今度は図書館から追っかけてくる!)
    ・・・AS父にしても、せっかく作業所で働き始めたのに、「お金足りないだろうからやる」と(やはり愛着が向いている、)折角の決意を無駄にするよなこれまた「飴と鞭」。
    今日、弟にようやく(このコメントを読む前ですが、)「父の老後の世話をして一生この家にいるのはやだ!家を出て他の世界に行きたい」というメールを打ったんだけど、「エゴが出てくるのはよい傾向だが、あせらず亀のようにゆっくりと」という分かったような分からないような返事しか返って来なかったです。

    • ウェンデイ
    • 2008年 9月 23日

    共依存はいまの私のテーマです。
    夫(AS受動型)との共依存で、精神的にかなり崖っぷちまで追い込まれても、いざ別れると考えると不安になる。
    このままずるずると文句を言いながら居る方が確かに<楽>なんです。
    後数年で年金も下りる年齢だから、そうなった時「やはりひとりより二人」と考えたり、夫は経済力は低いけど親から受け取る遺産がある。それも当てにしているわけで、その辺、ジャイアンの計算高さとずるさもあります。
    今後はもっと年を取って、お互い空気のようになればいいのだろうか。
    共依存、<持ちつ持たれつ>とは似て異なるものなり、です。

    • ネコ
    • 2008年 9月 23日

     ごもっとも!です。
     自分に振り返ってみると、「支配」はされても、「親の為」と思う事で 自分のしている事に対して「自己突っ込み」が薄れる感じがします。これは、ジャイアンにとって おいしいアメだと思います。親から離れてみれば、「未知なる不安」の中で 他者からみたら些細な事でも、自分で決めて何かできた!という実感が、何よりのごちそう!です。

    • むーん
    • 2008年 9月 24日

    >子供の頃からこの共依存が当たり前で成長したとすると、AC的共依存から抜け出る道は全て「未知なる大きな不安」に直面することを覚悟せねばならず、ACから回復する、自立すること自体に大きな抵抗が生じることになる。
    いささか言い訳じみるんですけど・・・
    今日、久しぶりにミーティングに出て思ったんですけど、小さい頃からこの「ボーダーランド(おとぎの国)」で育つと、普通の世界を支配している、裏の原理が分からない・・・(極端な場合、表の原理も分からない。)
    具体的に言うと、ちょっとした人との距離感とか、家事の手抜きの仕方、仕事のサボり方、SEXに持ち込む方法が分からない・・・
    それで、20代の頃、親と断絶して「未知の世界」に単身で飛び込んで結局発病した苦い思い出があります・・・
    やはり、正確なカウンセラーなり自助グループなりの助けがないと、人格障害の親からAC自立するのは無理があるような気が致します。そんな親でも、ほんの少しでも、依存でない愛情が向いていればまた別なのですが。

    • むーん
    • 2008年 9月 24日

    (すみません、続きます)
    私は、ある時ドクターに「取替え不安」があるのではないかと言われた事があります・・・
    新生児の時に、よその子供とうっかり取り替えられてしまって、親が物理的には面倒を見ているものの、精神的にまるでよその子に対するような敵意をぶつけてくる感じがありませんかと・・・
    (AS彼には、精神的ネグレクトだと言われました。)
    だから、私は実の親に対してACワークブックが出来ないんです・・・現実的に実は完全に無視されていた状態だったので。(これはセラピストに指摘されました。)
    何故離人症にならなかったのかよくわからないんですけど、あるいはそれに近い状態だったのかも知れません。夢の中で生きているような状態だったと思います。

    • ウェンディ
    • 2008年 9月 24日

    私の母は間接的な方法で私を支配してきました。
    「もっと素直な娘だったらよかったのに」など、遠回しな言い方で私を批判し続けました。その結果、今でも直接的は言い方をされるとキチンと反発できるのに、遠回しな言い方をされると引っかかりやすいです。
    それと同じことが夫(AS受動型)の間でも起こります。
    長い生活の中から夫もそれを心得ているようで、何かを要求するときでも「こうして欲しい」と言わずに「こうしてくれなかったの?」と私の方が「~しなかった」ことに罪悪感を感じるような言い方をします。私はまんまとそれに引っかかり、しなかった自分が悪かったと思ってしまうんです。
    最近、夫の行動の中に間接的に共依存関係を助長する行動を見つけました。
    意識的であるか無意識であるかは分かりませんが、
    ダメ人間でいることで私と繋がりを継続しているように見えます。
    先日、夫が旅行で出かける前に、つまらない口論をしてしまいました。口論は決着が着かないまま、夫は空港に向かい、空港から電話をかけてきて、「財布が見当たらないんだけど、うちに忘れてきていないか」と言うものでした。私は、慌てて家の中を探し回りましたがありません。
    「じゃ、盗まれたんだ」と夫。
    「どこに入れておいたの?」
    「鞄のポケット」
    「ダメじゃない、そんなとこいれといちゃ」と私。
    一旦電話を切ってほんの3分後、再び夫から電話。
    「あ、財布あったから。別の場所に入れといたんだ」と。
    「よかたね」と私。
    その翌日、ふと気が付いたことは、
    あれは狂言だったんじゃないか、と言うことです。
    こんな間接的な方法で、私に保護され、支配する関係を作ろうとしているように見えて仕方ありません。

    • むーん
    • 2008年 9月 24日

    ・・・私の場合、ジャイアンACという事でようやくアイデンティティを得た感じで、
    それまではどうも所謂「引きこもり」以前だったみたいです。(・・・悩んでなかった。否認と言えばそれまでなんですが。)
    なにか「いい家の家事手伝い」を”演技”することでかろうじて持っていたような気がしますね・・・
    (小さい時から、この傾向はありました。親の「お前は頭がいいからT大へ行け」の皮肉がKYで分からなくて、18年間必死で受験勉強してました。で、「できる子」を学校でも演じて、どこかすべっていたような気が今はします。)
    だから、ACと最初言われた時はなんかすごい芝居かってましたね。(我ながら。)服装なんかも全部変わりました。(眼鏡女子になったし。)
    今は、「素が出て来た」ということで周囲も自分も納得していますが。実はコンプレックスの塊だったんだと思う。・・・世間に適応する方法を間違ってました。

    • kei_
    • 2008年 9月 24日

    昨日たまたま、別のエントリで書いた親戚の娘(母親を看取った後ウツと統合失調症と言われた)の話を別の身内としていたのですが、
    「結局、その父親も子離れできないし、子も親離れできないんだろうね・・」と最後はお互いあれで納得してそうなっているんだろう・・という結論で終わりました。
    今現在は父親と二人暮らしでその父親がトンデモなくオレ様なので、離れたほうが良いとどこかの看護師さんからも言われたことがあるらしいのです。
    が、本人もウツやらなんやらで踏み切れずにズルズルと・・・という感じなのでしょう。
    父親も娘に早く結婚して欲しい・・・などと言うものの、そうなると独りになってしまうし・・・。
    「依存関係」は自分の経験も踏まえて、やはり双方合意の下で成立可能なのだと思います。
    >他者からみたら些細な事でも、自分で決めて何かできた!という実感が、何よりのごちそう!です。
    私もこの手の「ごちそう」のおいしさに味をしめて、本当に他人から見ると些細なことでも、それだけで、ヤッター!!って気分になれますね(笑)。
    我ながら精神年齢いくつだ?って、突っ込み入れながら・・・。
    ただ、他者に対して、未だに「丸投げ」分野がしっかりとあって、大抵は肉体的に困難だろう・・と自分が判断した部分なんですが、ここの枠をもう少し広げることができると、依存と協力の違いもはっきり認識できるかも・・と思うのです。
    「未知なる不安」
    この世界の入り口の一歩だけ足を踏み入ては引っ込めて・・・くらいのものなのでしょうか(笑)。

    • むーん
    • 2008年 9月 24日

    いやその・・・苦しんでいない訳ではないんですよ、kei_さん。
    (あまり差別的な事を書きたくないのだが)どうも、統合失調症と診断される人は、(その家族全体含めて)共依存パーセンテージが高いですね・・・
    (ちなみに、私はACサバイブとは、日本人がアメリカ人になろうとする試みだと勝手に思ってます。)
    どうも、一昔前のホームドラマみたいな、なごやかな(なごやか過ぎる)お宅に限って、発病率が高い感じがする。(電話の声で分かります。)・・・だけど、家の外はアメリカナイズされてる訳ですから、どっかで無理とゆうかしわ寄せがが患者本人に来てる。
    例えばの話、「頭のおかしい娘と一緒に寝起きしたくない」という理由で、庭にわざわざプレハブで住まわせたりしてるんだけど、食事は何もなかったかのように一緒にとってるとか、
    娘さんがミーティングに不適応して、2階から飛び降りて失明したのに、何事もなかったかのようにまた医者に車で送り迎えしてるとか、全体にバランスがおかしいです・・・
    (娘さん本人は、薬で頭がぼーっとして理不尽な扱い自体に気づいていないことが多い。)
    で、(我が家はそこまで行きませんでしたが)ある日ゴルフのパターで母親に殴りかかったりする・・・
    「引きこもりでも女子はその内嫁に行くだろう」と言うほったらかしの親が結局無責任なんですよ・・・(これは声を大にして言いたい。)
    PS;私も、自助グループに参加して、「まず親より自分の事を考える」という初歩の初歩を学んだところです・・・他人の事を自分より優先する、というのはACというか古きよき日本人の悪い癖ですよね。

    • むーん
    • 2008年 9月 24日

    (連投続きですが・・・)
    私が、何故これほどまでにAS元彼体験に固執するかというと、なんか40年間平和(?ある意味)に暮らしていたのが、いきなり第二次世界大戦に(2007年になって!)負けたような感じだったんですよね・・・
    (それがいかんのだなぁ、と、AS経済学者の小父様は仰るのですが。)
    ミーティング自体は、実は多数派ヘルパーさんはあんまり喜んでません・・・デイケアに行ってた頃のように不安定になって興奮状態になるとゆう。(それより作業所で働いてる方が安定してると・・・)
    でも、やっぱり「共依存では、誰もやろうとしない時自動的に自分が責任を引き受ける。回復では、状況によって自分が断らなければならない時、ハイヤーパワーを信じて手を離す」(一部省略)などというハンドブックの文句につられて行ってます・・・(ACの仲間もいるしね。)

    • パパイヤ
    • 2008年 9月 25日

    そうですね、わたしも小学生のときから毎日家出したいと思ってたけど、今家出しても行くところがないから(変なおじさんのえじきになるだけだから)と思って我慢して、大きくなってから正当な理由で家を出ました。あんなに切望していたのに、一人暮らし始めた後は、精神的に不安定になってしまいました。そして友人や男性に依存してたと思います、今考えれば。AC脱却は大変ですよね。ACでない子が1歳から20歳くらいまでかけて徐々に自立する過程を、何の後ろ盾もなしに一瞬でやらなければいけないんですから。(親は足をひっぱるので関わりたくない。)想像を絶するしんどさです。むーんさんのおっしゃるように確かにカウンセラーや自助グループは必要と思います。

    • むーん
    • 2008年 9月 25日

    ・・・実は、私が18才の頃はまだACという概念自体が普及して無かったです・・・
    で、いわゆる「モラトリアム」と診断されて、その系統の有名な医者にかかってたんですけど、これが酷かった。「何故、あなたは物事を自己責任で出来ないのか」と、行くたんびにヒステリー起こすんです。(それでかえって状態が悪くなった気がする。)
    ・・・私と元彼の間には、5才程度実は開きがありまして、(向こうが実は年下、)彼は、高校中退した時に、どうやら斎藤某先生にかかって、そこのミーティングで立ち直ったらしいんだな。(あくまで推測の域を出ませんが。)
    今は、自助グループも進化してますから、活用できるものは何でも活用した方がいいと思います・・・

    • kei_
    • 2008年 9月 25日

    いや~、私の目から見ても苦しんでいるように見えます・・・というか、苦しいんだと思います。
    でないと精神的にバランスを崩さないはず・・・。
    本人の自己分析も進んでいて、一応20代までは普通にお勤めをしていた娘なので、
    「外(社会)に出て辛い思いをするのも大変だし、家にいて父親といるのもストレス溜まるし・・・」と。
    どちらかを本人が選んでいる、という認識もある程度承知の上で今があることも。
    自分もそうですが、昨日も書いた「ごちそう(小さな成功体験)」の味を、子供の頃にどれだけ多く味わっておくかで随分と自己肯定感の度合いが違ってくると思います。
    でも、もし自分が子育てをしたらやっぱり母と同じように、ついつい先回りして歩く先の小石を除けてしまいそう・・・。
    それは自分の不安の解消のためでもあるのですが。
    1歳の頃、一人歩きし出した私の後ろを、父が座布団を持っていつ後ろに尻餅を付いても怪我をしないようにしていた・・と母が言っていました。
    そういう面では父は私に
    「やりたいならやりなさい!失敗したらフォローするから」
    と母とは逆の教育方針だったように思います(男親的?)。今更ですが、もっと父とそのあたり突っ込んでトライしてみればよかったのかも・・ですね。
    母といる時間のほうが圧倒的に多かった環境だったので、わずかなチャンスではありますが、トライはしていた気も無きにしも非ず・・・なのですが。
    つづく・・

    • kei_
    • 2008年 9月 25日

    つづき
    先生の記事にもある「定常化」。
    これはADHDなら変化を好むのでなり難いのかも、ですが通常は現状維持に向う思考のほうが強いと思うので、どうしてもその場に留まろうとする気持ちのほうが、勝っていくのが普通のように思えます。
    「比較・相対」の思考が少し理解してきた今は、比べるものによって今、現在の認識もガラリと変わってしまう・・・ということも解ってきた。
    イヤな場所がよそにあって、今ここが安全・安心という気持ちになっていたけれど、そこばかりに留まっていたら、
    今度はそこがイヤな場所になってくる・・。
    次に心地良いところはどこか・・・を探すのもありかもしれないけれど、
    居心地の悪いところに自分から身を置くことでここが居心地良く感じられる・・・。
    そんなカラクリもあったり・・・なニュアンス。。。!!

    • kei_
    • 2008年 9月 25日

    先程の自己コメントの補足・・・
    「相対・比較」の片方しか書かずに締めて送信したような感じだったんですが、
    たぶん他の方々も(自分もですが)、
    居心地の良いところを他に探すということは、大抵は相手が変わっただけで「依存」のパターンは持ち越し・・・(笑)。
    で、また同じサイクルにはまるのが、常・・・。
    なので、居心地の悪いほうへ、というのは、先生の記事にあるような「未知の不安」を覚悟する!ということなんだろう、と・・・。
    大なり小なり、その一歩を踏み出すための「直面化」が用意されていた気もします。

    • むーん
    • 2008年 9月 25日

    >ACでない子が1歳から20歳くらいまでかけて徐々に自立する過程を、何の後ろ盾もなしに一瞬でやらなければいけないんですから。
    わたしの場合、多数派ヘルパーさんが(今の所)ついているので、常人の4~5倍のペースと言う感じですが、(作業所も理解があるし・・・)それでも時々、インナーチャイルドが「おんもはこわいよ~!」と叫び出す感じですね・・・(お前はいくつだ!?)
    もちろんネコさんの仰る「ごちそう」もあるんですけど。
    ところで、「玉木宏」だと思っていた家の父ですが、どうもそれは外見で、中身は「泉谷しげる」なんじゃ無いかと言う気がして来ました・・・
    「泉谷しげる」のオレ様性をどうにかするには、一体どうしたらいいのか!?誰か教えて下さい。

    • むーん
    • 2008年 9月 26日

    >1歳の頃、一人歩きし出した私の後ろを、父が座布団を持っていつ後ろに尻餅を付いても怪我をしないようにしていた・・と母が言っていました。
    家の父は真逆で、「歩行器は桟に引っかかったりかえって不安定で危ない」という理由で、ある日癇癪を起こしてぶっ壊しちゃいました!
    (その頃から、「母」という歩行器をぶっ壊す姿勢があったのかも知れないです・・・)
    >居心地の良いところを他に探すということは、大抵は相手が変わっただけで「依存」のパターンは持ち越し・・・(笑)。
    で、また同じサイクルにはまるのが、常・・・。
    いやぁ、これも言われるとおりなんですよね。いつのまにか父と同じタイプの男性を探して歩いてるって、自助グループでも言われました。(頼りがいのある、「どすこい!」というタイプ?)
    ・・・たまには居心地悪いダメ男と付き合うと背筋が伸びるかも。(ー_ー)!!

    • むーん
    • 2008年 9月 26日

    >「依存関係」は自分の経験も踏まえて、やはり双方合意の下で成立可能なのだと思います。
    ・・・人の事は何とでも言える・・・
    お世話になっているAS経済学者の小父様に、実はニートの息子さんがいらして、日本中を自転車で放浪して回っている。AS経済学者の小父様は、世間的に何一つ悪いことはしていない・・・けど、アメリカでは既に自助グループ(WA)のある、ワーカホリックらしいんだな・・・(家の父もそうです。)
    資本主義の世の中で、アルコールならぬ金に酔っ払っているんだなと最近思うようになった。
    で・・・小父様は息子さんの事を大変心配しているけれども、自分に出来ない事をやっているのを無意識に歓迎しているような感じも密かにありで。
    世の中とゆうのは難しいです。

    • kei_
    • 2008年 9月 27日

    >・・・人の事は何とでも言える・・・
    確かに!!(爆)
    こと「依存」の問題となると、どうも投影や自己同一視してしまう・・・(私の場合)。
    先の親戚の娘に関して言えば、彼女は彼女なりに彼女のペースで日毎、回復しているように見えるし、最近は「~したい」、「~しようと思っている」という言葉が頻繁に聞ける。
    先日他界した叔父さんのお見舞いに、ホスピス病棟へ行ったことが影響しているのか、介助ヘルパーの資格を取りたいと思う・・・と言っていたし・・・。
    「私、自分はどうでもいい・・、人の為になりたいタチだから・・・」と。
    自己存在感が希薄なときの私などは、
    「あなたが普通に呼吸をしているだけで、あなたの吐いた二酸化炭素が植物の光合成の役に立っています。あなたはそれだけで、大きなこの自然の一部なのです・・・。」
    なんてコトバに納得してやり過し可能でしたけど(笑)。
    何度か死にそうになったおかげで、生きてるだけでもありがたや~~、になってしまった。?!
    「依存」に向き合えば、「一生かけての大仕事」と腹を括ってかかるしかなくなる気がします。

    • むーん
    • 2008年 9月 27日

    >後数年で年金も下りる年齢だから、そうなった時「やはりひとりより二人」と考えたり、夫は経済力は低いけど親から受け取る遺産がある。それも当てにしているわけで、その辺、ジャイアンの計算高さとずるさもあります。
    今後はもっと年を取って、お互い空気のようになればいいのだろうか。
    分かります・・・
    >「依存」に向き合えば、「一生かけての大仕事」と腹を括ってかかるしかなくなる気がします。
    これも分かる。
    私の回りの賢い勝ち組は、「いい加減お父さんの世話をなさい」モードですね・・・(そこは勝ち組の賢さ、はっきりとは言わないけれど、要するに援助職を捕まえそこなったのが腑抜けだと言う事です。)
    ・・・彼は、ある意味(ASの特性かも知れないが、)初めて私の話をリアルでまともに聞いてくれた人だったんですよね。そういう人がいきなりいなくなるのはやはり辛い。
    (多数派ヘルパーさんと暮らし始めて、「なんだ確かにもっと簡単に出来ることではあった」と思うようにはなったけど・・・)
    泥縄で、娘を嫁にやろうとするのはやっぱりちょっとね。苦労せずに努力だけで、誰にでも出来るムーンサルトではなかったです。

    • むーん
    • 2008年 10月 02日

    作業所正式入所2日目。(3日坊主にならないようにここにカキコしている・・・)
    やっぱり珈琲代でも、稼ぐと稼がないとでは、親との依存関係が全く違うと思いました。(引きこもりって精神的に物凄くしんどいんですよ。)
    今、思うと共依存相手と結婚しなくて本当によかった。経済的に頼りつつ、精神的に相互依存関係を築くのは、私にはとてもとても難しかったと思うので。
    (親ではなく、夫に”支配され、人格を否定され”になってしまっただろうと多分99%の確率で思う。)
    PS;もちろん、そうじゃないご夫婦も沢山いるとは分かってますが。「お一人様」のヘルパーさん二人の’無意識’の教育が功を奏したのか!?結果的にそういうふうになってしまいました。(今のところ。)

    • うにゃ
    • 2011年 3月 30日

    母が家を出て行きました。
    他県の叔母夫婦の家に身を寄せているようです。
    一週間たちます。
    今が人生のなかで一番、自由です。
    やっと、自分の人生の主になる一歩を踏み出したんだと思います。
    母と離れて良かった事は、たくさんあります。
    でも、昨日から抑うつがひどくなって、動けなくなりました。
    寝ていても、うなされて「もういやだ」という自分の叫び声で目が覚めました。
    時間を少し戻し、母が出て行った直後のことですが、
    「母が居たから私は生きてこれた」という言葉が自分の口から出て、自分で驚きました。
    しかし、言った内容は事実です。
    父から虐待されていて養育を放棄されていました。
    それに比べて、母はまだマシでした。
    母にとって私は、「将来の金づる」として利用価値があり、生かしておく目的があたから。
    (母も私に言語的・肉体的動力を振るって、私の人格を蹂躙してきましたが・・・。)
    父にとって「憎い女のガキ」だった私は、家庭は「安心して生きていられる場所」ではなく、自分を生かすために母の目的を叶えようとしてきた、ともいえるのです。
    つまり、私と母は、見捨てられ不安を互いに利用した共依存の関係だったのだと思います。
    35歳になって急激に、それを解消しようとしているから、大きな不安に襲われてパニックになっているのかもしれません。
    いま、このコメントを書きながら、気持ちが凪いでいくのを感じられます。

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