日本で最初のブックモビルは1949年。ぢゃあ日本で最初の配本車は?
Yonei先生が嵌ってをるゴロウタン。わちきも嵌ってをるのぢゃが、ゴロウタンを追いかけとったたら、とってもオモシロな図書館アイテム(librarianaという)が見つかった(≧∇≦)ノ
ブックモビルの最初はやっぱり千葉県
日本で最初のブックモビルはと言えば、千葉県立(1949)ということになっていた(ひかり号→)。これは、当時から業界では超有名だった話だけど、その後、高知県立(1948)説、鹿児島県立説などが提示されていた。
ただし、つぎの文献によれば、やっぱり千葉県立を最初としてよさそうである。高知県立は確かに1948年から自動車を運用していたけれども、それはブックモビルではなく「配本車」としてであった。
・石川敬史「移動図書館史研究ノート:1950年代前半における予備的考察」『情報社会試論』(5) (1999) http://www.digital-narcis.org/johoshak_free_font/5/ishikawa.htm
んじゃあ日本で最初の「配本車」なら高知県立、と思うでしょ(σ・∀・)σ さにあらず、さにあらず(・∀・)ノシ
なーんと、かのゴロウタンが勤めた岡山市立なのだ(・∀・) それもおそらく…
1922(大正11)年
といったらびっくりする?(o^∇^o)ノ
日本で最初の配本車は自動車ではなく…
世界で最初のブックモビルは「馬車」だったのはこれまた有名な話。じゃあ…
日本で最初の配本車はなんだったのでせう?(´∀` )
いいですか。この問いは、これまで一度も立てられたことがない(。・_・。)ノ とゆーことは、この問いへの答えもまた、これまでなかったということなのだ(・∀・)
ゴロウタンが司書生活を始めた岡山市立図書館(当時の名は岡山図書館)は、ゴロウタンが就職した時(1927)よりも5年前(1922(大正11))から、宅配サービスをやっていたのだけれど、それに使われたのが、当時の最新鋭の乗り物、「三輪車」だったのぢゃ(≧∇≦)ノ
これが日本で(いまのところ)最初の配本車。
というわけで。家蔵のゴロウタン本、『動く図書館の研究』(1935)でも、さかんに「三輪車」という文言がでてくる。
ん、三輪車?(・ω・。) それって、幼稚園児がキコキコこぐ、あれのこと?(σ・∀・)σ
そう。いま「三輪車」と聞いたら、だれだって前1輪、後ろ2輪の三輪車を思い浮かべちまう。せいぜいがそれの大きくなったオート三輪(これはこれで激しくナツイが…(*゜-゜))
ところがこれが、肝心の本『動く…』に図版が一枚もない。
実際、郷土史家の黒崎さんなんか、後ろに本を積み込むのだろーと思ったらしく、「リヤカー付三輪車」とか「リヤカー文庫」なる言葉を創っちまっている*1。
また、これは激しくシンクロにシティーなのだが、「岡山市立図書館+リアカー」なる検索が数日前にあったりもした。黒崎さんの本、見たなー(σ・∀・)σ
デワ、日本で最初の配本車をトクとご覧あれ〜
デワ、皆にその日本で始めての図書館配本車をお見せいたそう(`・ω・´)
これぢゃ!
どう? ちょっと見づらいけど、両輪の間に「書館図山岡」と白文字がある札が下がってるの、見える?
これこそが、日本で最初の配本車なのだ。これで、いーのだ。
で、この「三輪車」、どっちへ「進む」と思う? 画面の向こう側? それとも… え? そもそも車輪が2つしか見えないぢゃないかってか(^-^;)
さうぢゃ。2輪しか見えない。パッと見、リヤカーを手押し車風にむこう側から支えている風にしか見えない。なのにキャプションに「配給三輪車」とあるのはこれいかに!?
典拠
この画像、なんと、同じタイトルの論文(楠田五郎太「動ク圕ノ研究:岡山婦人読書会経営ノ実際」『圕研究』7(3) p.275-288 (1934.7))にあったのだ。これを、5月末深夜、某大の地下書庫でみつけたときには狂喜したのぢゃ。
それから2ヶ月、わちきは日本最初の配本車のことをしらべつづけてくらしておった。そしてこのまへ…
第二の写真が!(+o+)
図書館活動をつぶさに活写するものに、写真がある。
真を写すと書いて、写真。
図書館写真を見るには、なにを見ればよいか? これは端的にいって図書館情報学についてのレファレンス・クエスチョンでもある。
もちろん、立派な「館史」(単館史とも)があれば、それを見ればよいが、ない場合はどーするか。さらに各県の図書館史(上記の黒崎さんのとか)を見る。で、たしかに岡山市立の建物がp.75にある。けど、建物が写ってるだけなんだなーこれが。
で、わちきがひっくりかえしたのが、館報(月報・年報)の類。英語でいふと、library bulletinね。じつは、それにはたまに、グラビヤ頁が1、2枚ついていることがあるのだ。
と。
順次見るも、ないなーと。
←おなじ建物ばかり(-∀-;)…?(・ω・。)
ん?(・ω・。) ん、んーーっ!?(*ω*;)´´ こ、こりはー(×o×)
出入り口の道に、なにか置いてある! それに、ワッカがついてをるですよ!(×o×)
なーんと、みつけちったo(゚ー゚*o)(ノ*゚ー゚)ノ 「三輪車」2枚目の写真なりっヽ(o`・∀・´)ノ.+゜
当時のカタログ類を見てみると…なるへそ
しばらくして、冷静に推論してみる。
もしかすて、三輪車はやっぱり自転車の一種ではないかすら。すくなくともこれは自動車には見えん(´∀` )
大正期の自転車の形態について調べるにはどーすればよいかすら。それも、産業用の。
自転車史の本はいくつかあるも、なんだか趣味の二輪車がメインっぽい。
そうぢゃ(゚∀゚ )アヒャ こーいった時には、同時代資料の、商品カタログかディレクトリぢゃ!
とすぐに気づかねばなりません(。・_・。)ノ
ありましたよん(o^ー')b
これぢゃ!
ディファレンシャル・ギヤと戦前三輪車
これ見て、すぐ、(あとづけの)理屈が思いついたよ。ふつう駆動装置(要するにチェーンとギヤ)が接続する後輪を2輪にするには、旋回した(道をまがった)ときの内輪と外輪の回転数の差を、ひとつの軸の回転に反映させるような「デファレンシャルギア(差動装置)」が必要。しかしこのギヤは結構、複雑な技術が必要。
それなら、と、前輪に駆動装置をつけようとすれば、そうすると、前輪を舵(つまりハンドル)にはできなくなる。
複雑な差動装置をつけずに3輪にするには、どーするか。
そう。
前輪を2輪にすればよい。駆動系(要するにチェーン)をくっつけない前輪ならば、それぞれ左右の車輪を自由に回転させるようにしておきさえすれば、内輪・外輪の差は問題ない。ハンドルさばきが(かなり)重たいということをがまんすれば、前輪2輪後輪1輪の三輪車が、技術的にイチバン簡単にできるというわけだ。そして、当時の技術水準では、実際、そうだったということが、この自転車産業ディレクトリの広告(大正期)から一目瞭然というわけなのだ。
最初の画像に戻って… 再度びっくり(×o×)
この大正期「三輪車」の基本構造を知ったうえで、再度、最初の画像を見やれ。すると…
そうか!この人たち立ってるんぢゃないんだ!(゚∀゚ )
ということがわかる。
なんと、三台の配本三輪車に乗った三人の人物は、立っているの<ではない>のだ。立っているとすると、地面からすこし浮き上がって見えるでしょ(σ・∀・)σ
サドルのうへに坐っているのである!`・ω・´)o
数ヶ月間わからんかったよ…(*´д`)ノ
実は、わちきは最初のこの印刷写真をみて、補助輪をつけた手押し車かと思っておったのだ。「三輪車」という当時のことばを、現在の三輪車と解釈してしまい、ますますハテナ。2枚目の三輪車写真と、カタログの写真をみて、数ヶ月来のなぞが解けた。
かうして、日本のみなさまに日本で最初の配本車について日本で最初のエントリを公開できたというわけ。
ちなみに、日本で最初の配本自動車は?
結局のところ、日本で最初とおぼしき配本車は、前輪2輪の三輪車であったことが判明した。o(゚ー゚*o)配本自転車ぢゃ(ノ*゚ー゚)ノ
では、配本「自動車」は?
これもまた、高知県立(1948)ではないことを、拙ブログの古き読者なら知っておろう。
さうぢゃ(≧∇≦)ノ
時期は少なくとも1929(昭和4)年よりも前(゜〜゜ ) 毛利宮彦の図書館ゴシップ記事が役立った!
http://d.hatena.ne.jp/shomotsubugyo/20060217
毛利宮彦の書きぶりから、松本館長の代に導入されたと見れば、松本は1923年に館長になっておるから、1923年ごろから、廃止された1929年の間に配本自動車があったとみてよいでせう。
ん?(・ω・。) 内務省から帝国図書館に本を運んでただけだから「配本車」とはいへんとな(・∀・)
いや、そりゃあ、無意識にあなたが帝国図書館のほうに意識を置いてしまっているからにすぎぬぞえ。もしかしてあなた司書官さん?
配本車はサービスポイントに本を運ぶクルマ。内務官僚から見たら帝国図書館なぞ、文部省の出先、まさしくサービスポイント。
サービスポイントに本を運ぶクルマは、すなわち、配本車以外のなにものでもない。
おもいきり簡単な、図書館モバイル化の歴史年表
年 | 事項 | 備考 |
---|---|---|
ca.1922 | 配本自転車(岡山市立) | 前2輪三輪車 |
ca.1923 | 配本自動車(帝国図) | 官車の流用 |
1948 | 配本自動車(高知県立) | |
1949 | ブックモビル(千葉県立) | 自動車 |
*1:『岡山の図書館』黒崎義博 1992, p.77-78。ただし、これはまちがい。