「オーマイニュース」鳥越氏の無責任な「責任ある参加」論
私は昨年までインターネット新聞JANJANの市民記者登録をさせていただいておりました。
しかし、少しネット・ジャーナリズムについて思うところがあり、現在は記者活動は休職中(苦笑)であります。
今日は「オーマイニュース」関連の話題をからめて、いわゆるインターネット・ジャーナリズムについて少し考察してみたいと思います。
●どうして「普通の人がマスコミに不信感を持って」しまうことが「怖い」こととしか認識できないのか?
J-CASTニュースの新春特集記事は1日、2日と「オーマイニュース」鳥越俊太郎編集長と、「J-CASTニュース」大森千明編集長の対談でありました。
鳥越俊太郎に聞く(1) 市民記者で報道が変わる
http://www.j-cast.com/2007/01/01004696.html
鳥越俊太郎に聞く(2) ネットでも実名文化がいい
http://www.j-cast.com/2007/01/02004697.html
興味深く拝読させていただきましたが、なんか後味が悪かったのが新聞を持ち上げている次の下り。
(前略)
問題あるが、圧倒的に新聞の信頼性は高い
大森: 最近感じるんですが、普通の人がマスコミに不信感を持ってきています。それが一番怖い。昔は新聞記事に文句を言ってくるのって、意識の高い人でした。今は一般の人まで深読みしてウラからというか、「記者クラブで遊んでいるんですって!?」「どうせ何もしないで記事をかいているんでしょう」「大企業からカネをもらっているんじゃないですか」など言ったり、ネットの掲示板に書いたりしている。鳥越: それは当然ある。ただ、そんなに悲観的になる必要はないと思うんですよ。情報の信頼性は新聞が一番。テレビではない。テレビの人たちもね、新聞を読み情報を確かめて取材に行くでしょ。もちろん、新聞に頼らずに独自にね、人脈とか取材ソースを持っていてそれをテレビで流している人達も僅かながらいますよ。
僕のやっていた「ザ・スクープ」も、殆ど新聞に頼らなかったからこそ桶川事件を追及し、最終的に警察が謝罪した。確かに新聞の世界に問題はいっぱいありますよ。しかし、圧倒的に新聞の信頼性は高いわけです。
大森氏が「最近感じるんですが、普通の人がマスコミに不信感を持ってきています。それが一番怖い。」と、最近のおそらく反マスメディアが主流になりつつあるネット世論を意識しての発言でしょうが、普通の人のマスコミ不信が怖いという発言を受けて、鳥越氏が「そんなに悲観的になる必要はないと思うんですよ。情報の信頼性は新聞が一番。」と発言されています。
ここでのお二人の会話の中での「怖い」とか「悲観的」といった形容の使われ方がお二人の立ち位置をよく現していてとてもシンボリックな意味で興味深いですよね。
つまりお二人にとって共通の認識として「普通の人がマスコミに不信感を持つ」ことは「怖い」ことなのであります。
「最近感じる」とおっしゃる大森氏に対して、鳥越氏は「それは当然ある」とその怖い感を共有しながらも「悲観的になる必要はない」とし、その理由が「情報の信頼性は新聞が一番」だからなのだそうです。
いやはやなんともです。
さすがは、かたや毎日新聞記者から「サンデー毎日」編集長を経て報道番組「ザ・スクープ」(テレビ朝日系)のMCでもあられる「オーマイニュース」鳥越俊太郎編集長と、朝日新聞記者から「アエラ」編集長・「週刊朝日」編集長を経て現職になられた「J-CASTニュース」大森千明編集長であります。
所詮はお二人とも既存メディア出身者であり大所高所からの物言いが強いのであります。
どうして「普通の人がマスコミに不信感を持って」しまうことが「怖い」こととしか認識できないのか?
一般の人々がメディアリテラシー能力を身につけ始めたと肯定的にとらえることはできないのでしょうか。
また、なぜ「情報の信頼性は新聞が一番」なのだから「悲観的になる必要はない」のか?
彼らの視点はジャーナリズムを限られた一部の特権ジャーナリストが独占してきた古き良き時代の残滓(ざんし)でしかありません。
日刊新聞法や数々の法律で守られてきた新聞業界や免許事業法により手厚く守られてきた放送業界など日本の腐ったマスメディアの、そのぬるま湯体質の中でのうのうと貴族の様に「報道記者」を職業にしてきた者特有のエリート意識丸出しなのであります。
ネットが普及し一般市民も情報発信手段を有するようになった新しい時代に、「普通の人がマスコミに不信感を持って」しまうことは、時代の趨勢であり「怖い」という負の決め付けはまったくナンセンスでありましょう。
またネットの持つメディアとしての優れた特性であるインタラクティブ性・双方向の情報発信ツールの優れた特性を尊重するならば、「情報の信頼性は新聞が一番」なのは情報一次ソースを事実上独占している点では正しいかも知れませんが、それを持って「悲観的になる必要はない」などとする文脈はどこからくるのでしょうか。
彼らはどうしてもジャーナリスト特権意識から抜け出せないのであり、事実上一方通行の垂れ流し発信の既存メディアに比し、ネットメディアではコメント欄を中心に主役は記者側ではなくユーザー側に相転移している事実を理解できていないようであります。
・・・
●鳥越氏の無責任な「責任ある参加」論〜職業記者でもない限り一般社会人がネットで本名で組織批判などできるはずがない
この彼らの浅はかなネットメディアの特性に対する無理解は、対談の後半でネットの匿名性批判でさらに酷くなります。
鳥越: 僕らはスタート時点から明確な方針を持っていて、「責任ある参加」ということをきっちり打ち出していたんです。日本のネットは匿名文化が非常に育っていて、匿名文化を100%否定するわけではないけれど、これは僕の直感なんですが、その世界では盛り上がるものの、世の中を突き動かすもの、何かを生み出していく力にはなり得ない。やっぱりちゃんと顔の見える形で発言する社会。つまり実名文化というものがネットの中でも、既存のメディアの中でも作りたい、という思いが僕は強い。
オーマイニュースにもコメント欄があって、最初はおっしゃるように匿名でのいろんなカキコミがぶら下がっていて。同一人物と思われる人が同じ事を繰り返し書いていたり、「ウジ虫」とか書かれたりね(笑い)。それでこの前からオピニオン会員として登録した記者だけがコメント欄に書き込めるようにしたんです。そうなればもちろんコメントの数は減ります。
でもね、僕は日本人の知的レベルというものを信用しているんですよ。ネットで一時期はこういうこともあるだろうけれど、最終的には顔を出して実名でものを発言する文化が日本でも育ってほしいと。
ネットの匿名性に関して「匿名文化を100%否定するわけではない」しながらも「責任ある参加」を強く打ち出してきたとしています。
「やっぱりちゃんと顔の見える形で発言する社会。つまり実名文化というものがネットの中でも、既存のメディアの中でも作りたい」と鳥越氏は自らの思いを吐露しています。
だから匿名で荒れていたオーマイニュースのコメント欄も「この前からオピニオン会員として登録した記者だけがコメント欄に書き込めるようにした」のだそうです。
どうにも「僕は日本人の知的レベルというものを信用している」と言う割には、参加者を信用しているとは思えない閉鎖的な施策が目に付くわけですが、それはともかくネットの匿名性には少なからず問題があることは認めた上でですが、どうにもその後の発言がよくわかりません。
鳥越: さっそく採用して(笑い)。日常生活の中にある、それこそ病気とか、教育とか食事とか生きている上で殆どの人が重視していることがあります。そういうところで市民記者になってもらう。もう一つは色んな職業の人に市民記者になってもらいたいわけなんですね。会社の中で言いたいけれど言えないことを書いてもらったり、その道のプロだけれども物書きのプロでない人が参加してくれればいいのかなと。オーマイニュースを見ていても、僕らではわからない専門的な記事もありますから、そういう人が来てくれればしめたものかなぁと。中央官庁の役人が、実名で内部の腐敗を書いてもらえると活気付くと思いますね。
「色んな職業の人に市民記者になってもらいたいわけなんですね。会社の中で言いたいけれど言えないことを書いてもらったり、その道のプロだけれども物書きのプロでない人が参加してくれればいいのかなと。」おっしゃりますが、これはあまりにも前の言葉と矛盾していませんか。
「実名でものを発言する文化が日本でも育ってほしい」という思いで匿名性を排除する方向なのは理解はしますが、かたや「会社の中で言いたいけれど言えないことを書いてもらったり」などと無責任なことをおのべになるのはどういうことなのでしょうか。
プロのジャーナリストでもない素人のサラリーマンやOLがなぜ実名で「会社の中で言いたいけれど言えないことを書」くことが、一体全体この日本社会でできると鳥越氏は本気でお思いなのでしょうか。
馬鹿も休み休み言ってほしいです。
そんなリスクを素人の「市民記者」が負えるわけはありません。
それとも鳥越氏は「命をかけて報道する覚悟」を市民記者にも持つべきだとでも言うのでしょうか。
職業記者でもない限り一般社会人がネットで本名で組織批判などできるはずがないのです。
・・・
●匿名性を認めないインターネットメディアのコメント欄など廃止すべき
さて「オーマイニュース」のPV数ですが、コメント欄を規制してから急減しているようです。
総じて鳥越氏にはあくまでも一般市民が「記者」として参加することはまあ本名という制限付きながら許そうとしていますが、一般市民が匿名を持ってコメント欄に参加することの価値は見いだしていないようです。
彼の頭の中にはあくまでも「責任」を持った一部のジャーナリストが一方的に聴衆(オーディエンス)に対して情報を垂れ流すという、既存の新聞やTVの発想が抜け切れていないのです。
ネットコミュニティに対するこの無理解が、「オーマイニュース」のPV数激減というここまで事態を悪化させたのではないかと思います。
残念ながらこの「オーマイニュース」のコメント欄規制処置は、私が記者登録していたインターネット新聞JANJANにおいて一昨年起きた騒動と酷似しています。
・・・
たしかに匿名のコメント欄には、罵声や誹謗中傷といったノイズのようなものも含まれてますし、きつい批判もあるでしょう。
しかしインターネットのコミュニティでは、主役の一人は実は「オーマイニュース」の言うところの「市民記者」だけではなくて、そこのコメント欄に書き込む「ノイズ」を含めたユーザー側にあることを鳥越氏は正しく理解できていません。
ユーザーの声の中には、聞きたくない批判はもちろん「ノイズ」だって存在するのが当然であるでしょうが、インタラクティブな媒体であるネットでは、あくまでも彼らが主役(少なくとも会話の参加者の片方)なのだから、それらを排除しては決してならないのです。
ましてや市民ジャーナリズムを標榜するメディアであるならば、このような閉鎖的な言論統制で一部の「市民記者」を誹謗・中傷から守るといった安直な手段を講じてはならないのであります。
ネットでジャーナリズムを実現しようとするならば、匿名の批判をも受け付ける覚悟が必要なのでしょう。
レベルの低い誹謗・中傷やいたずらコメントは削除規約をもうけて削除すればいいだけです。
それができないのならば「オーマイニュース」であれ「JANJAN」であれ、インターネットメディアのコメント欄など廃止すべきなのです。
ただの情報収集ならばニュースサイトで十分なのです。
(木走まさみず)
<関連テキスト>
■[メディア]二枚舌とはオーマイニュース編集長の鳥越俊太郎氏のことです。
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060801