Rossiyskaya Imperiya(露)
帝政ロシアとも。ツァー(ツァーリ)の治める帝国。
形式的には東ローマ帝国の後裔を主張する「第三のローマ」。
いわゆる多民族支配国家としての「帝国」であれば、前身のモスクワ大公国の時代から適用しても問題ない。
厳密を期すなら、1547年に即位したイワン雷帝がツァーリを称してからか(先祖のイヴァン3世が最後のビザンツ皇帝の姪と結婚していたこを理由に東ローマ皇帝の後継を主張)、あるいはピョートル大帝が大北方戦争(1700年 - 1721年)に勝利した1721年にインペラトールを宣言し、公式に国号を『ロシア帝国』に変えた時、の2種の時期に分けられる。が、日本の高校教科書ではイワン雷帝がツァーリを称してから帝政の終わる1917年までを一体としてか、ロマノフ王朝時代(1613年−1917年)を「ロシア帝国」と記述されているところが多い。
1917年の二月革命(ユリウス暦、グレゴリウス暦を採用する国では三月革命とも)で、最後の皇帝ニコライ二世が退位するまで続いた。