これだけど
あなたは、
あなたの奥さんは
あなたの娘さんは、
20代で結婚して、子供を2人産んで、離婚したら、母子で自活できますか?
女性ということになっているちきりんさんが、他者として、そして大半は暗黙に男ということになっている修辞的な問いかけで問題の枠組みが設定される。そして修辞性の効果として、経済問題だけに捨象される。だからネタなんだということかもしれないが。
この問題はしかし、「あなたとわたし」という市民の直接性の枠組みのなかで、市民が罪責を問う形にしないと、経済の外で問われている部分に気がつかないし、暗黙に問われた他者として疎外された倫理の弁解の延長に、市民の直接から乖離した正義が生まれることになる。(慈愛の王を自然に生み出す。)
正義が制度を超えて幻視される怖さを知るなら、正義を制度のなかにきちんと閉じ込め、その先に倫理を問うのであれば市民の直接性に依拠するしかない。つまり、「わたしは」という問いで問われなくてはならない。「ちきりさん」という女性であるなら、産むものとして。finalventという男であるなら、産ませるものとして。つまり、母であり父として。(母としてというなら、おそらく大半の女性がこうしたネグレクトに内省的な共感を持っているはずで、その感受を隠しているちきりんさんは欺瞞なのだが。父としてというなら、ファルスを引き受けること。)