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疑似科学批判者の「政治性」を擁護する。(または優生学の踏み絵について)

よくわかる気がする優生学

 
 先の記事ブコメ等で「議論がすれ違っている」「争点が明らかでない議論は不毛」といった指摘をいただき、反省しました。
 
 そもそも、私の「優生学」という語についての認識が不勉強だったのが不毛さの始まりだったと思います。
 そこで、優生学とその周辺について、下図のように整理してみました。(なお参考資料はWikipedia*1
 


 黄色い長方形のエリアが、古典的な意味での優生学です。
 その中央にいるのが、「優生学(eugenics)」の語を提唱した19世紀の学者、フランシス・ゴルトン。
 
 図の上の方が自然科学寄り、下の方は人文科学・社会科学寄りであることを示します(……が、レイアウトの関係でわりと適当です)。
 
 Wikipediaによれば、優生学とは
「生物の遺伝構造を改良する事で人類の進歩を促そうとする科学的社会改良運動」
 とのこと。
 
 つまり、具体的な政策・行動を主張する社会運動であり、進化論やメンデルの法則のような自然科学分野の問題ではなかったわけです。
(私はここを勘違いしていたわけです)*2
 
 優生学とそうでないものの境界は、ぼやけて曖昧になっています。
 
 例えば、出生前診断や遺伝子診断は、しばしば「優生思想的」と評されますが、Wikipediaの言う「科学的社会改良運動」には当てはまらないかも知れません(あてはまるかも知れません)。
 
 また、
「強い婿・嫁を迎えて、我が一族によい子を加えたい」
 的な発想はおそらく同様に優生思想的ではありますが、ゴルトン以前からあったのは間違いのないところでしょう。
 
 そして、優生学を、最も極端かつ非人道的な形で実践したのが、ナチスドイツであったと言えると思います。
 
 さて、先般の議論の模様を振り返るに。
 
 まず私の偏った理解。

 ↓
 そして批判。

 
 なるほどこれはすれ違ってますね。
 
優生学」を、
「人為選択の原理を人間に適用することを研究する学問」
 みたいな自然科学寄りの意味に考えていたのが私の過ちだったわけです。
 
 この状態で「優生学は科学的に正しいか」など論じてもかみ合わないのは道理です。
 
 ……と、思っていたのですけども。
 
*追記
 この記事のブコメで、id:D_Amon氏、
 
>「オレオレ定義の優生学を出してくる人々」は頭が悪いのか心が悪いのかの問題で、私はid:filinion氏の頭が悪いとは思っていなかったんだな。手前勝手な独自解釈で言及してきただけという話ならそれを自省してください
 
 って書いてるのですが。
 
 当方としては自省はしましたので、D_Amon氏、および若干の反・歴史修正主義の皆さんは、ぜひ以下の部分も読んで(&自省して)いただけるよう切望します。
 たぶん氏らは、頭が悪いわけでも心が悪いわけでもなくて、視野が狭窄なだけだと思うのですよね……。
 

政治裁判の始まり。

 
 このように、
「私が間違ってました」
 という話だけなら、単に私がごめんなさいすればいいのですけど。
(いやしますけど)
 
 しかし、議論の過程でどうにも気になったのが、歴史修正主義批判の方から繰り返される「党派性」「政治性」という言葉です。
 

菊池誠氏の「党派性」。

 まず、問題の発端となった(んじゃないかなあ、と思われる)菊池誠氏のツイートを再度。
 これは、
疑似科学批判者はもちろんナチス擁護を批判しているんだろうね?」
 という@segawashin氏の問いに対する返答ですね。


「僕はナチス擁護を否定しています」
 と明言している……ように見えるんですがね、私の目には。
 
 ところが、segawashin氏は、「ニセ科学ではない」「そういうのは周辺問題と呼んでいます」扱いされたことが不服で延々と非難を続けます。
 
 詳しい前後の文脈は、togetterで(segawashin氏に好意的に)まとめられているので、そちらをご覧頂くと良いと思うのですが。
http://togetter.com/li/1045411
 
 簡潔にまとめると、以下のような理屈になります。
 
・ナチのイデオロギーの根幹には疑似科学があった。
・だからナチは疑似科学だ。
・だから疑似科学批判者はナチス擁護を批判すべきだ。
・だから、欅坂46の「ナチっぽい衣装」問題についても、当然、疑似科学批判の立場から言及する義務がある。
・一般に、「Aに言及するならBにも言及すべき」という論法には、議論のリソースは有限だ、という問題があるが、ナチ批判は「簡単にできる」ことなのだから、その批判はあたらない。
・そうしないのは偏向だ。
 
 ……ナチの制服って疑似科学なんですかね?
 
 こう……どの項目もおかしい気がするんですけど。*3
 
 そして、その菊池氏がルイセンコ主義を「疑似科学」としていることについて、「露骨な党派性」と非難します。*4
 
 Apeman氏の
歴史修正主義優生学は批判したくないニセ科学批判マン」
 という批判もこの話題に連なるものと思うのですが……。
 
 いやでも、菊池氏、「ナチス擁護を否定しています」って言ってましたよね? 私の目の錯覚ですかね?
 

間違った日本語の「政治性」。

 
 非難されるのは私もです。
 
 前の記事のメタブクマ。

はてなブックマーク - 疑似科学批判批判の話、および「Xは科学的に正しい」は「Xを支持する」という意味ではないよね、という話。 - 小学校笑いぐさ日記

この件での優生学は普通にどころかナチス文脈で出ていることは明らかなのに、そこにオレオレ定義の優生学を出してくる人々の思考が謎というか意識的に目を逸らしている疑惑すらある。それも政治性の表れではないかな

2016/11/12 22:09

 
「意識的に目を逸らしている疑惑」!
「それも政治性の表れ」!
 
 言葉の覚え間違いを指摘されたことは恥ずかしながら一度や二度ではありませんが、そこで「政治性」を糾弾される、というのはなかなか新鮮な経験でした。
 
A級戦犯」を「主犯格」の意味で使う方、はたまた、「課金する」を「金を払う」の意味で使っている貴方、どうぞ気をつけてください。
 その誤用は、あなたの邪悪な政治性の表れかも知れないのですから……。
 
 という冗談はさておき。
(いやでも真面目な話、「A級戦犯」の方は本当に政治性とか言われかねないかも)
 

疑似科学批判者の政治性。

 
 さらに、氏のブログ記事では、http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20161115/p1
「ルイセンコは「左のトンデモ」として取り上げられるのに、優生学は批判対象にされることがないという非対称がある。
 疑似科学批判派の中には党派性を持った者がいる」

 といったことをおっしゃっています。
 
 ……えーっとつまり、
疑似科学批判者の中には、ソビエト社会主義科学の過ちを過大に取り上げる一方、ナチスの人道犯罪には口をつぐむ、潜在的反共ファシスト分子が潜んでいる疑いが濃厚である!」
 的なことをおっしゃりたい……?
 
 いや、そりゃまあ、そんな人が「いない」とは言えないでしょうね。
 歴史修正主義を批判する人の中にも、酵素ドリンクを飲んでる人がいるかも知れないように。
 
 しかし、D_Amon氏はそんな自明なことを言ってるのではなく、疑似科学を批判する人々の全体的な傾向としてこれを語っています。
 
 このような、疑似科学批判者を「潜在的政治犯」扱いするのは不当である、そもそも批判自体が的外れである、というのが、私の主張であり、このクソ長い記事を書かねばならないと思った理由です。
 

疑似科学批判を政治性批判から弁護する。

 

「自然科学分野なんだから批判すべき」論について。

 
D_Amon氏の前掲記事から。

 私は日本の疑似科学(似非科学)批判派に「歴史は自然科学ではないので歴史修正主義疑似科学批判の対象外」的なことを言う人がいることを知っています。しかし、この優生学は自然科学分野の疑似科学であり、自然科学でないことをもって批判対象から外すことはできない筈です。



専門外ではなく、専門内なのですから、言及しない理由としては「専門外なので」以外の理由を持ち出す必要があります。

「自然科学分野」全体で一つの専門分野なんです?
 じゃあ「人文科学分野」も?
  
 前の記事で書きましたが、
「例えば代替医療を批判してる人が天文学分野に言及してないからといって、「ヴェリコフスキー支持者め!」とか糾弾する人はいないし、いたら無茶」
 だと思うのですよ。
 
 まして、D_Amon氏が言う「優生学」ってのは、「ホロコースト文脈」なんですよね?*5
 ホロコーストは自然科学の問題ではないのでは。*6
 
 D_Amon氏、菊池氏の「党派性」を批判するために

優生学疑似科学として批判対象にするつもりはないようです。



T4作戦のような非道をなしたそれを。

 ……って言ってますけど、「非道をなしたから批判すべき」というのは、それが自然科学の領分ではないと自分で言っているようなものでしょう。
 
 もちろん、歴史修正主義者が、「ツィクロンBは可燃性だから云々」「日本刀は数人切ると刃がダメになってしまうので云々」といった、怪しげな(自然科学分野の)疑似科学的な理屈を持ち出してくることが多々あるのは知っています。困った話です。
 しかし、そのことをもって、歴史修正主義そのものが自然科学分野だ、と言うのは無理筋と思います。
 
 例えば、文学研究に統計的手法を用いることがありますけど、それを根拠に「文学研究は統計学の一分野だ」って言ったら、どっちの人もイヤな顔をすると思いますよ。
 
 ですから、疑似科学批判側の
歴史修正主義は専門でないので言及しない」
 というのは、まったく正当な理由だと思います。
 

「ルイセンコは批判されるのに優生学を批判しないのは対称性を欠いている」問題について。

 
 ……もうこれ、
「党派性がある、政治性が表れてるのはどっちなんだ?」
 と思えてならないのですけど……。
 
 そもそも、ルイセンコ理論と優生学は対称でないと思います。
 
 ホロコーストが、イギリスの優生学の影響を強く受けているのは確かです。
 しかし同時に、 欧州全域に根深かった反ユダヤ感情*7や、ヘレナ・P・ブラヴァツキーの近代神智学(アーリア人!)などのオカルト思想の影響を受けているのも明らかです。
 
 つまるところ、「優生学」はナチの非人道性の一部分であり、かつ、ナチスもまた「優生学」の一部分に過ぎないのです。
 優生学というのは非常に広範なものですから、
優生学を批判しろ」
 と言われたら、
優生学を? どの範囲まで?」
 という問題がつきまといます。
 
 一方で、ルイセンコ理論は、ソビエト連邦のアレです。他にありません。
 
「政治が科学に介入したり、疑似科学が政治を壟断するとどうなるか」
 という事例として非常に適切なのです。 
 
 で、疑似科学批判者が本当にナチスを批判しないのか、というと、全然そんなことはないと思います。
 ただ、その場合には、「優生学」という広大な語ではなく、「ナチスの人種理論」という言葉が使われると思います。
 
 というか、私の感覚では、「なぜ疑似科学を放置してはいけないのか」を説明するのにナチスの人種理論を例に挙げるのは、むしろ(ルイセンコ以上に)定番ですらあると思うのですが。
 
 例えば、手元にあるカール・セーガンの「科学と悪霊を語る」でも、テレンス・ハインズの「「超科学」をきる」でも、魔女狩りと並んで出てきます。
 
 そもそも、「批判批判」の人々が、「疑似科学を批判するのにいちいちナチスを挙げるなんて大げさだ、鬼面人を驚かすの類だ」みたいに言うくらいで。*8
 政治性ですよ、政治性! 「批判批判」を行う者は潜在的ナチスシンパの疑いがある!(冗談です、念のため)
 
 一般に、
優生学には科学的に正しい部分があるか?」
 と、
ナチスの人種理論には科学的に正しい部分があるか?」
 では、返ってくる返事が全然違うと思います。
 
 ナチスを批判するのに「優生学」という言葉を使うと、かえって批判対象がボケてしまうので使われないだけではないでしょうか。
 

余談

 
 以下は余談として。
 

余談1「きれいな核

「Xは科学的に正しい」
 に対して、
「Xを(倫理的に)支持するのか! 政治性だ! 偏向だ!」
 と非難するのは筋違いだよ、という例として、
核兵器は爆発する」
 という命題を挙げたんですけど。
 
 それに対してD_Amon氏曰く

優生学が科学的には正しいなら、核兵器等が手段であるのに対し、それは目的として人を殺すので、優生学核兵器を同列に並べるのはどうかなあと思います。

 ???
 
 優生学において「殺す」ことは必須ではないですよね? せいぜい一つの「手段」ですよね?
(日本やアメリカの優生政策は断種や中絶を手段としていた。ナチスが老若男女積極的に殺して回ったのは、イデオロギーや経済にも影響されてる)
 
 核兵器は、明らかに殺すことを「目的」にしてますよね?
 
 なんでそんなアクロバティックな理屈をひねり出してるんでしょう?
 
核兵器は批判したくない歴史修正主義批判マン」? (冗談です)
 

余談2「私は疑似科学批判陣営で重要な地位にある250人のナチスシンパのリストを持っている」

 
 何度も言ってます(し、日頃の言動からも明らかだと思うのです)けど、私自身は自分が左派だと思ってますし、歴史修正主義的なものには強い反感を覚えます。
 専門知識をお持ちで、反・歴史修正主義の立場で戦っておいでの方にはまったく敬服します。
 
 しかし、「ナチス批判は簡単にできるのだからやるべき」だの「優生学を批判しない者はナチスシンパ」だの「疑似科学批判者は政治的に偏向している」だのといった政治犯狩りは、まったく支持できません。
 
 疑似科学批判者が(専門外の)江戸しぐさを批判するのが偏向だ?
 じゃあ、内科医のNATROM氏が反進化論を批判するのも偏向なんですかね?
 
 明示的に「私はホロコーストはなかったと思う」とか「南京大虐殺はなかった」とか言ったらそりゃあ歴史修正主義でしょうし、批判するべきでしょう。
 
 しかし、「ナチス擁護を否定している」と言っている相手まで叩こうとしたら……さらには、「疑似科学批判者」という不特定多数まで批判対象にしたら、かえって反・歴史修正主義そもののの「政治性」が問われ、信頼を失うことになると思います。
 
 それによって喜ぶのは、歴史修正主義者であり、疑似科学論者ではないのでしょうか。
 
 どうか、少し頭を冷やしていただきたいと強く望みます。
 

*1:写真出典もWikipedia。図左から順に「メソポタミア文明」「チャールズ・ダーウィン」「グレゴール・ヨハン・メンデル」「フランシス・ゴルトン」の項から。

*2:余談ながら。
 ゴルトンはダーウィンの従兄弟で、優生学は、ダーウィンの説から直接に影響を受けて発想されたのだとか。
 ダーウィン自身はいわゆる「社会ダーウィニズム」に否定的で、人種差別に強く反対していた……ということを思うと、なんとも歴史の皮肉を感じます。

*3:もちろん私の要約の仕方には偏見があるでしょう。
「ここがおかしい、segawashin氏はこんなこと言ってない」
という点があれば誤指摘ください。

*4:菊池氏が言う「周辺問題」って表現は、重要性が低い問題、という意味ではなくて、「疑似科学の周辺にある問題」ってことだと思うんですけど、たぶん通じてないですよねこれ。

*5:この議論だけかと思ったけど、「優生学を批判しない=親ナチ」みたいな言われ方をしてるので、基本的に「優生学ホロコースト文脈」という扱いっぽい。

*6: 例えば、「進化論は誤りだ! 進化など存在しない!」って言ったら、それは疑似科学であり、自然科学の領分です。
 しかし、「ホロコーストは存在しない!」と言ったら、それは歴史修正主義ですよね? 進化論否定と違って。

*7:例えば帝政ロシアユダヤ人を虐殺していますが、これが「疑似科学」だとは思えません。

*8:……という事例を見た記憶があるのですがググっても発見できませんでしたすみません。「あれがそうだ!」という例をご存じの方が要らしたらぜひ。