癌テンション -未来を先取りするもう一人の自分
この3月。わたしの身体にガンが出来ていた。ガンの心配なんて未だ何十年も先の事だと思っていた。
もし余命宣告が下ったらば、「これを遺影にしなさい」と家族には言い付けようと考えて、わたしはこの絵を急いで仕上げた。
*1
腫瘍発見前から、油彩混合技法の習作として描いていた小品だ。元の絵は本文横に貼られたアイコンのペン画。服の皺を綺麗に描く為に、自分でポーズして写真に撮り、それを見てデッサンしたものだった。この「人形使い」を遺影に選んだ経緯は、東京から関西の自宅に移動する距離の間に、あった。
腫瘍のしこりを発見したのは自分自身だった。すぐに東京の医者を探しに行った。その時、九十九里浜のホテルに一人で居たのだ。
九十九里に着いて一泊した翌朝、風呂に入ろうとした時、消しゴムそっくっりな堅さと弾力の玉が皮下に埋まってるのに気付いた。「消しゴム状の触感」はすぐガンの知識と結びついた。にも拘らず、大鏡による自分の裸体の鏡像は、肌のコンディションといい体格も健康体そのものに見えたんで、今この瞬間瞬間が幻覚なのか現実なのか、しばらく分からなくなってしまった…
ここ数日の経験・認識の要素が、宿命だとか死神降臨の演出のように感じられてしまう妖しさに惹き込まれていった。黒沢清の映画の登場人物になってしまった気分だった。
わたしは一人で良いホテルのオーシャンビューに泊まってた。ネットで何時間も選り好みして決めたホテルで、旅行をとても楽しみにしてきた。3月はわたしの誕生月でもあった。
着いたそこは特別美しくも醜くもない景色をした観光地。黒沢清が好みそうなロケーションだな、と自分で納得することにした。1夜目に出た8000円のディナーは、外の景観と同じで可もなく不可もなく、なんの感動も得られなかった。
用意してきたマーラーを聴きながら、漁火も無い真っ暗な夜の海を見に出たが、やっぱりなんの感動も得られなかった。
マーラーの交響曲第3番のアルトの歌曲「おお人間よ、心せよ!」。映画『ベニスに死す』で、リゾート海岸で主人公の作曲家がタッジオという美少年の遊んでる様子を眺めながら、この歌曲の草案をした、という場面が出てくる。わたしはなるべく少しでも感動を高めようとしてラストの作曲家の死の場面を、想起しながら聴いた。
んが、駄目だった。こんな景色じゃさっぱり勃たん。やっぱ北海道か沖縄の果てまで行くっきゃないだろう。
がっかりして部屋に戻り、顔を洗って歯磨きする。部屋の鏡がやたら立派で大きい。ここに祖父とでなく恋愛の相手と来れたなら、どんなにこの鏡が楽しかったことだろう!とつくづく思う。
鏡の、自分の眼を覗き込んでいた。海がつまらなかった代わりに、ご自慢の眼を見ていた。いつも人から褒められる部位が、眼なのだ。虹彩も白目もきれいに澄んでるのを見て満足した。
そして『あしたの、喜多善男』を観ながら寝た……
次の朝、皮下に眼球大の腫瘍を発見することとなる。
わたしは、一昨年死んだ祖父の納骨をしに、わざわざ関東まで来ていたのだった。用が済んだらそのまま北海道まで行くつもりだった。
祖父は、仕事が好きで仕事に誇りを持っていたが、家族には概して冷淡な人間だった。近くに居たけれどわたしもほとんど関心を持たれていなかった。子供の時から祖父の書斎や書棚から面白いものを好き勝手に吸収させてくれたし、将来の選択にも不干渉だったので、愛されてなかった事で別段不満は持ってない。
一昨年からのわたしの活躍ぶりはアンティゴネよろしく、親戚中の仏式希望をわたしの独断で潰して、なるべく仏教性やその他宗教の型を排した葬儀と埋葬とを遂行してきた。祖父は唯物論者を自称していたし(笑)、儀礼にもうるさかったのをわたしが一番よく理解していたからだ。
わたしの審美意識からも、宗教のポーズだけした葬式仏教に付き合わされるなんて、しゃらくさいだけ。想像するだけで虫酸が走るくらい嫌だ。
腫瘍の朝
ホテルをチェックアウトし、当日中予約のとれる東京の専門医を特急電車の中で探し、東京駅に出た。関西に戻るという選択をしなかったのは、「悪性ではないから、このまま旅行なさい」という言葉をもらいたかっただけだったといえる。
なのに、医者はわたしに、「エコー検査で診た限り悪性だと思う」と告げた。*2
それを聴いた瞬間、恐怖で凍りついたのが、思わず憤怒の形相になって、医者やナースを睨んでしまった。
医者はギョッとしてわたしから顔をそむけた。
すぐ関西に帰らないといけない。納骨はもう済ませていた。
クリニックから出ると、そこは両国だった。恐怖感でオカシクなりそうなのを耐えて駅に向かってると、『機動警察パトレイバー2 the Movie』で描かれてた景色に出た。たしか柘植と南雲忍が再会した場所じゃないか。
生まれ育ちも、行った大学も現在処も関西都市部、というわたしにとり、「東京の風景」とはなんといっても『パトレイバー』の美術なのだった。( 美術監督:小倉宏昌)
クリニックに着く前も、診察予約時間まで3時間もあってそのまま東京駅改札を出ず、『パトレイバー』で描かれた水道橋からお茶の水の景色を見たいが為に、中央線の四谷駅〜東京駅間を何回も往復してやり過ごしていた。
――『攻殻機動隊』の「人形使い」は「私も死を得たいのだ」と言っていた、
と、押井守繋がりで頭に浮かんでくる。
わたしは、ここまで積み重ねた経験や才能をいさぎよく消さないとならないのか?? 絶望にあらがって、考えが一人歩きしだしたように勝手に、目まぐるしく模索しだしていった。
人形使い:「私は自分を『生命体だ』と言ったが、現状ではそれは未だ不完全なものに過ぎない。何故なら私のシステムには、子孫を残して死を得るという、生命としての基本プロセスが存在しないからだ」GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 [Blu-ray]
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素子:「コピーを残せるじゃない?」
人形使い:「コピーは所せん、コピーに過ぎない。たった一種のウィルスによって全滅する可能性は否定できないし、何よりコピーでは個性や多様性が生じないのだ。
より存在するために、複雑・多様化しつつ、時にはそれを捨てる。」
いや「わたしに消せというのか」というのはいかにも形而上的な発想だ。「人形使い」は、「個」のない、それ自体が「種」のような生命体なわけだし。
当たり前だが、「犠牲」なんて人間の社会のご都合に過ぎないのだから、それは生物的死の「現実」とも関係がない。だからこそわたしは、絶望して脅えてるのだけれど。
去年、癌で逝った叔母がいる。叔母といっても13歳の差だったので、「姉ちゃん」と呼んでいた。
叔母の印象というと、若く美しい盛りだった頃のことばかり思い出す。叔母と従兄弟たちと一緒に泳ぎに行ったことがあった。20歳の叔母は、大胆過ぎないビキニを着ていてアイドルのようだったので、従兄弟もわたしも誇らしかった。
その叔母の最期が、癌だった。余命の宣告を受けた後4年患った。通夜で、遺児や旦那さんの顔には、やっと楽になれたという安堵の表情があった。
はたして叔母の味わった恐ろしさに、わたしは耐えられるだろうか? この自問が鳴り止まなかった。
昨夜の、ビキニの女の子もタッジオ少年も居なかった真っ暗な夜の海を、思い出す…
と、なおも頭の働きのほとんどは、映画かコミックを想定しての、意匠を懲らし繋ぎ合わせてみせるのを止めなかった。
これは、未来を先取りしているもう一人の自分だ。「近代的自我」。
もう一人の自分がそう主張してくる。東京〜自宅までの4時間、物語紡ぎが加速回転し始めた。
マトリックスの状景
極度の不安感に至ると、眼前の情景が、自分以外の存在が全部、マトリックスの中のように見えてくるものだ。今までも何度か経験がある。子供の時、親に酷い罵りを受けた時。付き合ってた人と大喧嘩して、共通の友人ごと失った時。
今も、誰とも「恐さ」を分ち得ない孤立感。
派手好みといわれる関西人に比べて、東京では往来の人の服装が全体的に、リクルーターみたいに質素に見えるから、余計にマトリックスの中に紛れ込んだような感覚に陥った。自分以外の皆が、プログラムで笑ったり喋ってるだけに見えて、しょうがない。通り魔など脱社会的な行動をする人が知覚してる状景って、こういうマトリックスじゃないだろうか。見かけの多様さをたたえた均質的な世界。
新幹線に乗る前に近辺で精神科を探して、抗不安剤を処方してもらった方が良いんじゃないか?とも思ったが、何故かわたしの直感は
「薬でぼんやりしてる場合じゃない。存分に今を経験しておくべきだ」
とわたしに命じてきた。密閉された空間で知らない人間たちと何時間も行儀良く過ごさなくてはならないなんて、出来るんだろうか?この強気な「直感」は、どこからきてるんだろう?
――そうか。『ファイトクラブ』のタイラー・ダーデンの台詞だ。絵を制作する時、BGMとして吹き替え版をよく聴いていた。その英雄・タイラーが、薬品で手を焼きながら叫んでるあの場面。
「痛みを消すな!受け入れるんだ。手を見るんだ。
おーい、死にかかった人間の真似なんかするんじゃねーよ! 駄目だ、そんなのはまやかしの悟りだ。
人生最高の瞬間なんだぞ?! なのにお前は逃げるのか?
子にとって父親は神だ。その父親に捨てられた、そんなお前は神をどう思う? よく聞け、神に自分が嫌われてるんじゃないか位は考えろよ!いらない人間だ。火傷くらい、なんだ。
何が天罰だ、何が贖罪だ、俺たちは神の望まない子。ざまあみろ。
まずはあがくのはやめろ。そしてテメェが“いつか死ぬ”ってことを心に刻め。」
新幹線で隣り合った男性客が、モバイルゲームしながらこっちの様子を窺っていた。駅でもわたしは通行人にジロジロ見られていた。うっすらと殺気立ってるからだろう。身なりはY'sの服と良いピアスもしてるから、私服警官などにも声をかけられなくて済んだ。殺気といってもチックや独り言発してたわけでもなく、緊張感から自然、禅修行のように無駄な動きを排除するような感じになっていた。座席でも、Gがかかった戦闘機に乗ってるみたいに背もたれに背を真っ直ぐくっつけていた。姿勢を崩してうな垂れるよりも、心理的に楽になるからだ。
車内ではがむしゃらにルーマンの『法社会学』の復習をしていた。そして一方で、余命宣告を受けた場合の心構えを探っていた。半年以内で出来る課題なら、この作品。一年かけるならこの作品、と、自分に課せる課題を選別していた。人も使って、やり遂げよう。
ガンという現実を身に付けた途端、ルーマンなど幾多の本の言葉や映画の台詞と、構内ディスプレイで流されてた三浦和義社長や新潟の鈴香被告の裁判の事とか、アウシュビッツや原爆やアフガンとイラクなどの戦禍の事もが、すべて、自分の身の上の事のような切実さに思えた。これらが千枝の矢となって、わたしの一挙手一投足の上に突き刺さってきたのだ。明らかに異常な感度に達していたが、この「英雄的」な気分はやめられない。
これが「死を得た」という感触か。
関西時間
帰り着いて、翌日から「人形使い」の習作にとりかかった。描いてる間、異様に充実していた。腫瘍は抱えているが、体力は普段通りだったので、色んな用事を済ませることにも奔走してた。
発見から3週間たってようやく、「生命に別状がない状態」という診断を得た。
あさって手術を受ける。肉を周囲大きめに切除するのだが、手術痕は下着に隠れる部分で、わたしの傷を拝める人間は今後も、医師と、恋愛の相手だけとなるだろう。