[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/
Valid XHTML 1.1! cc-by-sa-licese

Hackについて

――およびそこにあらわれた、哀れな Asshole 野郎山形浩生の各種無知と愚かな物言い

山形浩生(MIT Alumni Association, 1995)



 この文はすずきひろのぶ氏の「Hackの語源」(iso-2022-jpになってる)に対して、もうちょっと広い立場から補足説明をしたものだ。

 すずきさんの解説は、まちがっちゃいないけど、ちょっと話がコンピュータ(それとMIT)に偏りすぎだと思う。Hackってのは MIT だけのことばじゃない。英語ではもう少し広い使われ方をすることばなんだもの。「キーボードをたたくのが切り刻む動作に似てるから」なんて某所の解説もどき(ぜんぜん似てねーだろが!)は、愚にもつかないかんちがいだけど、でも「切り刻む」というのが語源にあるのは事実ではあるのね。

 Hackというのは、そもそも基本は鉈や斧やまさかりや山刀で切る、裁ち落とす、というイメージのことばなんだ。すずきさんがあげている「 hack through the jungle」というのは、まさに鉈でジャングルを切り拓きながら進むイメージ。

 そして鉈で切るというのは、決して細やかな作業じゃないよね。ガシガシ叩き切るんだもん。だから hack というのはつまり、大ざっぱな作業という意味なんだ。必ずしもいい意味じゃない。「雑な仕事だ」と業者に文句をいうとき「あんな hack じゃ困るんだよ」てな言い方をする。でも、いい意味で使うときには、大ざっぱでもちゃんと必要な役にはたつことをする、という話。何か道具や家具をつくるときに、細かくノミやカンナやヤスリで仕上げなんかしないで、鉈でちょいちょいと刻んで手早くラフなものを作って、でもそれだってちゃーんと使えます、という話。最小限の努力で要求をきれいにクリアするものをつくりあげる、という感じ。そしてそれが、いかにもハッカーっぽいってこともわかると思う。「ハッカーは、正しいことを雑にやる。スーツどもは、まちがったことを綿密にやる」という格言のようなものがあるけれど、まさにこの「正しいことを雑に」が hack ってことなの。

 だから、このことばを使うときには注意しないといけない。たとえば Unix はもともと、AT& T のだれぞが「Multics っていーな、この PDP-11で使いたいな」ってなことを考えて、さくっとつくったものだった [山形の無知その1]。だから最初は Hack と言っていいだろう。でもだんだん大規模化するにつれて、そう呼びにくくなってる。ストールマンは政治的に hack ということばを使うから、「hurd はいいハックだ」と言えば喜ぶだろう。でもカーネギー・メロン大に行って「いやあ、Mach はすごい hack ですね」と言ったら、いい顔はされないかもしれない。あれはそんなお手軽なものじゃない。大きい、ややこしい、繊細、手間たくさん、だもんね。それに向かって「 hack だ」というのは、下手すると「手抜きで雑」という罵倒にとられかねない。商業ソフトに hack という称号をたてまつるのは、ほぼ確実に悪口だ。「Windows NT はなかなかの hack ですねえ、カトラーさん」と言うのは、「おいカトラーさん、なんで NT はあんな出来の悪い急ごしらえの寄せ集めみたいな代物になっちゃってるの?」って意味だから、マジで殴られるよ[山形の無知その2]

 でも、ハッカーの世界、Unix の世界には、「Simple is best」という哲学がある。既存のものを使ってさらに積み上げるのをよしとする文化がある。きまじめさよりはひらめきを愛する気風がある。あるいはそれ以外でも、半年かけて完璧なものをつくるより、その場でいい加減でも使えるものが必要な場面ってのはたくさんある。そんなときに、 hack というのは最高のほめことばだ。「あたしのハック、ちょっと見てよ」「へえ、すごいハックだねえ」という会話は、「へっへっへ、ちょっと思いついて、あっさり簡単につくっちゃったわよ、いい加減だけどきっちり動くでしょ。どんなもんだい」「おっとぉ、ラフだけどアイデア一発で賢く手っ取り早く成果を出してくれちゃったね、やるじゃん」という意味の会話。この感覚があって、はじめて hack をよい意味で使えるんだ。

 ついでに言えば、これがアメリカ開拓者精神に通じるものだ、ということは指摘できる。「大きな森の小さな家」シリーズを読んだ人なら、ローラ・インガルス・ワイルダーのお父さんが家そのものも家具も、いつもすごくラフにいろんなものをつくって、そのときそのときで柔軟に工夫をしつつ一家を喜ばせ、見事に生活していたのが印象に残っていると思う。かれなら言っただろう。「I hacked up this house」。「I hacked the furniture here.」 いやあ、サクッと家を造ったよ、ぱぱっと家具を組み立てたよ、という雰囲気。家具屋で売れるようなご大層な代物ではないけれど、住めるじゃん、使えるじゃん、家族は幸せじゃん。入念につくられた製品よりも、ラフでも自分のニーズにあわせて手早くつくりあげたものを重視する考え方。そしてもちろん、それがときには市販の製品をはるかに上回る品質を見せたりする。これが hack をすばらしいとする考え方の根っこにあるんだ。たぶん、ヨーロッパでは支持されにくい考え方じゃないかな。

 だからハッカーは、何かバグが見つかったときにとりあえず何かそのためのフィックスやパッチをつくって「This patch is just a quick hack, but...」ってなことをよく言う。「とりあえず手早く大ざっぱに(鉈でざっくり刻むようにして)こんなのつくったよ、という意味。ハッカーでなくても、たとえばレポートとか論文を、(特にできあいのパーツを組み立てて)おおざっぱに仕上げてみたんだけど、と言う場合には「I hacked up this report」といえば、MIT でなくったって十分に通用する。

 ただし、そのときその対象には、なんか物理的に組み立てるイメージがないとつらい。クスリを混ぜるようなときに「I hacked this medicine up」とかは言わないし、クローン牛を手軽に作っても「I hacked this clone up」とは言えない。建築でささっとラフスケッチを手書きで仕上げるのは、「I hacked up some drawing」とは言えなくもない。時間がないときにできあいの平面図をペタペタ貼り合わせてすごくおさまりのいい敷地図を30分でつくっちゃったら、これは「nice hack」とほめられるだろう。一方、ときどき締め切り間際まで何も作業をせずに、発表のその場になってからスタイロフォームでちゃちゃっとボリューム模型を仕上げたり、新聞紙をくしゃっとまるめてうまいコンセプト模型をつくったりすると、かっさいを浴びる一方で「そういう hack に頼るな!」と先生に怒られたりもする。

 あるいは友だちんちに行って、「腹減ったぁ」とかいうことになるでしょ。そのとき、クッキングパパ風にありあわせのもので飯をつくってくれたりするヤツがいる。それは hack だ。「He hacked up some lunch for me」(あいつ、おれにさくっと昼飯ってくれたんだぜ)といって感謝される。この表現にいちばんぴったりくる料理って、やっぱサンドイッチね。手軽に組み立てる、というイメージにマッチしてるから。一方で、昨日から仕込みをしてたすごい料理がそこで出てきたら、それは絶対に hack の範疇をはずれちゃう。手軽じゃないもん。あるいはそれがインスタントラーメンやスープだったら、hack とは言いにくい。物理的に組み立てる感じがないから(あと、創意工夫がまったくないから)。そしてコンピュータやソフトってのは構築的なイメージがあるから(アーキテクチャがあったりするでしょ)、hack という概念になじみやすいんだよ。

 さてなぜそれがいたずらに適用されるのか? いたずらってのは通常は、その場の思いつきで手早く仕掛けるものだから。ゼロからつくるより、その場のありあわせのツールを使って組み立てるものだから。もちろん、非常に綿密で入念ないたずらだってある。でも、ほとんどのいたずらってのは、その場のアイデア一発勝負なのよ。ファインマンの伝記を読めば、その手のハックはいくらでも出てくる。そして MIT の大がかりな手のこんだいたずらも、じゃあ安全対策は万全だったか、とかぬかりは一切なかったか、と言われれば、そんなことはない。どれもかなり危なっかしい、一瞬の隙をついたような、その場限りのものばかり。でも、その意味でラフではあるけれど、でもちゃんと期待通りに機能したから、それは見事なハックなんだ。それにいたずらって、どんなにまじめに一生懸命やったとしても、そんなそぶりを見せちゃいけないんだ。思いつきでいい加減にやりました、というポーズをつけるのが最高にかっこいいことでしょ?

 だから結局、ハックというのは非常にラフながら期待通りの機能や効果を挙げるものであり、それをお手軽にまとめる、という意味なんだ。そしてそれが転じて、最小限の努力で最大限の効果をあげる、といったことにも適用されるようになった。そしてもちろん、能力のある人間にとって努力なんてのは自慢すべきことじゃない。だから結局、努力の部分は見ずに、その成果だけをみて、それがすごければそれを「すんごい hack だ」と言うこともままある。

 ただし、全体的な傾向として、明らかにものすごい労力が投入されているものは、比較的 hack と呼ばれにくいと思う。Emacs のここんとこはすごい hack だ、とは言うし、Linux のこのパッチはなかなかみごとな hack だ、とは言う。そしてそれを次々に出しているストールマンや電総研の半田さんみたいな人を、えらいハッカーだ、とは言う。でも、Emacs は全体としてすごい hack だ、という表現は、いまはなかなかしないはず。ストールマンが初めてゴスリングのemacsとタメをはる代物をだしてきたときは、それはグレートな hack だったろうけど。いまでも「Xemacs は Emacs に対するなかなかすてきな hack だ」っつーのはあり。

 あと、あまり正統的すぎてもちょっと hack らしくない(言うけどね)。「Hello World!」を表示しろってときに、ふつうにやっても hack にはならない。変なポインタ使って、16進を直接出力に書き込むとか、わけのわからん演算をしてソース中には「Hello World」なんてまったく見あたらないのにちゃんと出力されるとか、そういうひねった裏技なんか使ってると、とってもらしいんだ。アイデア、ひらめき、自分なりの工夫、インフォーマルな解決策、というニュアンスが hack ってことばには強くあるから。

 ちょっと脱線。そしてすずきさんは「いっしょにするな」と顔をしかめるだろうけど、その意味でクラッカーによる各種クラッキングも、見事な裏技という意味で技術的には hack の範疇に十分入っちゃうものが多いと思う。いろんなわざを最初に編み出した人間は、いたずらスピリットという意味でもハッカーと呼んでいけない理由はないはず。キャプテン・クランチが、グリコのおまけの笛で電話システムをだまして長距離電話をかけたのは、こりゃみごとな hack よ[山形の無知その3]。そのアイデアも、さらにはそれをグリコのおまけで実装した茶目っ気も。最小の労力・コストで、最大の効果を! それをまねするだけの連中がやってることは、ただの二番煎じで hack でもなんでもないけど。

 この意味で「ハッカーはクラッカーじゃない」という主張は、趣旨はわかるけど、あまりに政治的なものだという気が最近している。ハッカーがそんな聖人君子かね。ハッカー的な技術がクラッキングに使えちゃうのは、厳然たる事実ではないの。すばらしいハッキングの伝統としてこの人たちが称揚する MIT の各種いたずらだって、うまく行ったからかっさい浴びるけど、下手すりゃ不法侵入や器物破損やサボタージュ、つまりはクラッキングじゃん。純粋法律的にいえば、人の建物にでっかいにこちゃんマークなんか描いていいと思ってんの? そういういたずらの伝統があって、やられるほうもシャレがわかる連中で、あるいはわかんないやつらの場合でも、ハッカー側に味方がたくさんいて(MIT の学長はじめ教授陣とか)守ってくれるからこそ成り立ってるんだよ。

 それに下手な映画みたいに、このシステムを止めないと東京が壊滅する、というようなことになったときも、ハッカーさんは「いや、おれはクラッカーじゃないから他人のシステムに侵入しない」と大見得切るかね。そんなことないだろう。真のハッカーなら、公共の利益(いたずらでみんなをおもしろがらせるのも含め)のためには破壊活動もする。そしてそれでも(いや、それ故に)ハッカーとして勇名をはせる――そういう考え方はあるはず。ストールマンがいい例ではないの。ハッカーとクラッカーは絶対に相容れない存在ではないはずだよ。唯一いえるとすれば、ハッカーは自分一人が利益を得ようとしてクラッキングをすることはしない(少なくともそうありたいものだ)、くらいのことじゃないかしら。クリエイティブないたずら(これには絶対反社会的な面はあるんだ)を称揚しつつ、ハッカーは遵法精神に富んでいますと主張するのは、矛盾してると思うな。

 閑話休題、話を戻すと、同じ考え方で、Perl はそれ自体が hack と呼ばれる余地が大きい。そして Perlで書いたスクリプトも。それはラリー・ウォール自身が言ってるように「Perl は汚いとこもあるし、書いた人以外には読みにくいし、構造的にもむにゃむにゃではある。でも手っ取り早くて、やりたいことはしてくれるし、とにもかくにもちゃんと動くじゃん」という部分があって、そういう hack らしいラフなとこを残してるからなの。同じ意味で、Tcl/Tk だってそうだ。ストールマンはいろいろ文句があるようだけれど、でも手っ取り早くてやることやります、という点で、これはみごとな hack なんだ。でも、TeX はみごとな hack だ、とか、あるいはニクラウス・ワース[山形の無知その4]の各種言語をすばらしい hack と言うかというと、ちょっとつらい。それは、これらがよく考え抜かれすぎていて、きれいすぎるからなのね。

 ただし、いろいろ転用が進んできているから、Pascal は見事なハックだ、とか Oberon は最高のハックだ、というような表現が完全にないとは言わない。が、少ないはず。ぼくの知り合いは、「あれは hack というより craft だ」と表現している。いわば、工芸品だな。そこまでくると、もう hack っぽくなくなっちゃうんだ。

 ほかの分野でも、ハッカー精神に通じるものはある、とよく言われる。でもその場合たとえば統計をごりごり処理してすごい分析をするようなのは、ハックとは言われない。簡単な前提から簡単なモデルをつくって、それがあっさりいろんなことを説明できちゃう――そういうのはハックと言えるだろう。10 年かけてものすごい交響曲を書くのは、ハックじゃない。でも一瞬ですごいインプロビゼーションをやっちゃうのは、ハッキングの親戚だ。

 だからすずきさんの解説はよいんだけれど、あんまりヒロイックに『「道なき道を独力で自分で切り開いてつき進む」というニュアンス』なんて言われると、ハッカーたち自身がもじもじすると思う。手早くシンプルに、というニュアンスが消え失せるし、それになによりもハックって、一種の謙遜表現でもあるんだもん。はじめのほうに書いたけど、ハックっていい意味だけじゃないんだから。どんなにすばらしいものでも、どんなに努力したものでも、自分で言うときには「さくっと雑にやりました、大したことないよ」といわんばかりに「ハックしてみたよーん」という――それがハッキングのダンディズムなんだよ。ラフに、手早く、しかも最大限の効果を――そしてそのための努力を自分では誇示しない(でもソースや結果を見ればそれは一目瞭然)――これぞ万人がシャッポをぬぐ、最高のハックなんだ。

(蛇足ながら、この文書もホンの一時間ほどで、前に書きかけた文をもとに書き上げたいい加減な代物だから、つまんない hack だったりはするのだ(笑)。……といいつつ、いろんな補足をしていたら、結局 5-6 時間かかっちまったい(ためいき))


MIT のいたずらたとえば、あるとき、MITとカリフォルニア工科大学(カルテック)とのスポーツ(確かフットボール)の対抗試合があったんだ。そのときMITの連中は、カルテック応援団の本部に忍び込んで、連中の人文字のサインシートを全部すりかえた。で、試合当日、みんなが色のついた紙を掲げて「GO GO Caltech!」とか応援しているつもりが、「ごはんは残さず食べましょう」とか「あなたは神を信じますか」とか、わけのわかんない応援文句ばっかり出てきて、見ていた人はみんな爆笑。そしてこれの頭のいいところは、人文字をつくってる当のカルテック応援席の連中には、自分がどんなメッセージをだしてるのかわからないってことなのね。だから、これは試合半ばまでずっと続いたんだ。西のカルテック、東の MITってなもんでライバル意識は強いから、これは強烈。試合はどうあれ、MIT の圧倒的勝利。わっはっは、ざまみろカルテック!

 でも、これをやられたカルテックの連中は、そりゃ怒り狂ったよ、イッヒッヒ。訴えるとかいう話になって、大変だったって。これは不法侵入、窃盗、ファイルの書き換えと、まさにクラッキングそのものだよね。でも、すばらしい、頭のいい、大かっさいを浴びる立派なハックでもあるんだ。

 あと好きなのが、イェールとハーバード(だったかな)のフットボール試合のエピソード。試合途中にグラウンドの真ん中から、いきなり巨大な人間型の風船が出現。MIT のロゴつきシャツを着て、MIT 万歳の旗をかかげてて、試合は中断だけど場内大喝采。翌日の新聞トップ記事「イェール VS ハーバード、勝者は MIT!」そしてコメントを求められた MIT 学長曰く「昨日の一件にこのわたしが関与しているという噂は、まったく根も葉もないデタラメであるが……残念、根くらいはあってほしかった!」関係者はおとがめ一切なし。でも、日本の甲子園や花園や六大学で、たとえば東大がこれやったら、どうなると思う? 「思い上がったエリート意識!」「公共性の欠落したつめこみ教育の弊害!」てなもんで、関係者はよくても停学処分、高野連なんかも出場停止処分3年とかを発表、読売新聞だの NHK だのも損害賠償請求てんこもりって感じでしょ?



Asshole 野郎山形のおろかなまちがいの各種

UNIX の起源:
はい、これは厳密にはまちがいで、Multics から Unix までの間には、PDP-7 上の Unics があったそうな。だから、Multics はいーなと思って Unix を PDP-11 で開発したというのはまちがい。すみません。

 あと、「Multics はいいと思ったんじゃなくて、Multics はダメだと思って Unix をつくったんだ、この半可通のうすらボケ野郎が」というご意見があった。なるほど。でもそうなの? ぼくも Multics を見たわけじゃないけれど、Multics はちょっと野心的すぎて失敗で、Unix はどこにでもある PDP にそれをコンパクトに実装したから普及できたんだ、という話ではないの? Multicsに批判はあったろうけど、その基本方針は評価されてたんじゃないの? 評価してベースにしたから Multics -- Unics -- Unix という名前の連鎖があるんでしょうに。ちょうど、Linux が Minix を評価しつつも、それへの不満から生まれたみたいに。とはいえ、この部分についてはぼくも伝聞知識しかないのは事実。厳密な話はものの本を読んでくださいな。

NT とハック:
 いま Unix 系の人が NT について何を言っても嫌みにしかきこえないから、この表現はまずい、というご指摘があった。そうかな。でもそれなら、NT をロータス1-2-3 にしてくれても、マックライトにしてくれても話は同じだ。ハッカー社会から一歩出れば、同じコンピュータ業界であってもハックってのは悪口で使われることが多いんだよ。

キャプテンクランチ:
 キャプテンクランチは phreaker であってハッカーじゃないとか、いやかれはハッカーだけれど、それは別のところの業績によるものであって、とかいろいろ言われた。はあはあなるほど、みんな要するに、かれの電話ハッキングはハックだと認めたくないわけね。どれもこれも、恣意的でためにする議論でしかないと思う。

 まず、どうして学校の建物に落書きしたり変なモノ乗せるのがハックと認められて、長距離電話システムをだますのはハックではないと言えるわけ? そこんとこの基準はなに? あんたらハック認定委員会なの? 自分たちのイメージに都合のいいとこだけいただこうっつーいやらしい情報操作じゃないか、そんなの。

 ぼくは、だれよりも先にグリコのおまけ(はいはい、正確にはグリコじゃないけどさ)で電話システムをだますのは、見事なハッキングだと思う。その理由は文中で述べている。スピリットは同じだよ。独創性のある発見とアイデアも、実装のおふざけも。「いや、それはハッキングじゃなくてフリーキングだ」って、あのねえ、そんな内輪のセクト争い持ち出してどうすんだよ。フリーキングは電話システムのクラッキングだし、クラッキングの独創的なものは、当然ハッキングの一部だよ。ぼくは、ハッキングはすべてクラッキングだ、といわんばかりの世間的な誤解はあまりにかわいそうだ(両サイドにとって)と思うから、「ハッカーはクラッカーじゃない」、という主張には賛同するし、両者を使い分ける。同じ意味で「ハッキングはクラッキングじゃない」という使い分けもする。でもそれは、両者の間に厳密な一線が引けるって意味じゃない。ぼくの立場は「ハッカーのすべてがクラッカーじゃない」ってことだ。つまり、ハッカーの中にはクラッカーがまちがいなくいるし、クラッカーの一部はハッカーと呼べる存在だってこと。その重なり合う部分は、あまり大きくはないかもしれない。でも、キャプテンクランチは、確実にその中にいるんだよ。

 さらに、かれがハッカーとして評価されるのは別の業績のためだ、という言いぐさも、苦しい言い逃れだ。そりゃそういう業績は否定しない。でも、みんなかれの本名は知らなくても、キャプテンクランチの名前は知っている。キャプテンクランチの名前の由来は知ってるよね。その電話をだましたグリコのおまけが、正確にはキャプテンクランチのおまけの笛だったからよ。かれがハッカーとして有名なのは、まさに電話システム破りの業績のためだ。

 それともなにかい、「別の業績」説をとなえたい人は、もともとかれはまともなハッカーだけどその電話ハックをした時点で、かれは心得ちがいをして薄汚いクラッカーに成り下がったのである、やんぬるかな、と。そう主張したいわけかね。じゃあそのハッカーとクラッカーの差って、ホントなんなの? 「ハッカーはつくってクラッカーは壊す」というのがエリック・レイモンドの区分だけど、キャプテンクランチは何も壊してないじゃん。

 かれは、1997 年の世界ハッカー会議 Beyond HOPE にきて、大喝采を浴びていた。ハッカーの先人としてね(ぼくも握手してもらったもーん)。HOPE を仕切ってる「2600」の連中はクラッカーであってハッカーではなく、したがってそんなところに出ても証明にならない? いや、エリック・レイモンドとかは「2600」をえらく嫌うけど、あそこの連中を否定する根拠ってそんなにないと思う。エマニュエル・ゴールドスタインはおもしろいヤツだし。ハッカーのキャプテンクランチが、フリーカー&クラッカーのキャプテンクランチでもあり、ハッカーのリチャード・ストールマンが、教授の専用端末を実力奪取するテロリストでもあり、ハッカー精神に富む物理学者ファインマンが金庫破りで遊ぶクラッカーでもあるように、両者の境界なんかないも同然。HOPE には、本当にセキュリティを高める活動をしている OpenBSD の連中だって喜んできてるんだよ。

Niclaus Wirth:
 こいつはスイス人だから、ヴィルトが正確な表記だ、とのこと。はい、失礼いたしました。これはぼくの完全なまちがい。英語言語帝国主義に侵されていました。ごめんなさい。
……と書いたところ、播口陽一氏からこんな情報をいただいた。

そうそう, Nicklaus Wirth 先生の last name の発音ですが, 有名な話があります。講演か何かの際, 先生は

"How do you pronounce your name?"

と言う質問を受けたそうです。Wirth 先生, 応えて曰く

"You can call me by name, pronouncing it 'Veert', or you can call me by value, 'Worth'".


 ばっかやろー、ってことは別に本人だって、どっちでもいいと思ってるんじゃねーか! 本人でもいいと言ってることをなーに極東の日本人が「正しくない」とか言ってやがんでぇ(なーんて、いやいや、ご指摘の趣旨はよくわかるのだ、これはただの負け惜しみみたいなものよ)! 先のごめんなさい撤回。Love is never saying you're sorry! (99/1/6)


この文章の目的(1998/07/31補足)


 この文章をアップしたら、その筋の方たちの目にするところとなって、いろいろご批判を受けたので、ちょっと弁明。

 まずぼくは、「ハッカー」ということばや、「ハックする」というのを自動詞で使う用例が、コンピュータおたく社会(というとまたケチがつくかな)独自の用語だってことについては、まったく異論はない。山根信二がこれをエリック・レイモンド仮説と呼んだりしているけれど、これは仮説でもなんでもない、厳然たる事実だ。だから Sun はハッカーの会社を自称することもあるけど、それはそれで文句を言う気はない。

付記:これは必ずしも正しくないことがわかった。ハッカーということばは、コンピュータ業界なんかのずっと以前からあった。そしてそれは圧倒的に悪い意味だ。この用例が知りたければシルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド』(新潮社)にこういう下りがあるのを参照:

「ナッシュが何よりも嫌ったのは、おしゃべりな人間だった。(中略)「うすのろ(ハッカー)」というのが彼のもうひとつの口癖だった。ハッカーとは言動がにぶく、たいして意味のないことを得意がる人間のことだ」(p.93)

これは 1948 年くらいの頃。「うすのろ」という訳はちがうと思うけれど、ハッカーというのがずっと以前から悪いニュアンスの言葉として存在していたことが明らかにわかる。そしてその意味が、ぼくがここで説明した「hack」ということばの意味合いと対応していることもわかるだろう。小手先だけの、あまり中身のないことをひけらかすやつが「ハッカー」だったのだ。ハッカーは悪い意味で使うほうが本来の意味で、コンピュータ業界の変な「よい」ハッカーという言いぐさは、やはり内輪だけの隠語と考えるべき。だからこそ、「悪い」用例があんなにも急激に普及したのだ。コンピュータがこれだけ普及したためにそう思えなくなっている面はあるけれど。ハッカーは善玉といいたいなら、それは環境変化による用法変化を認めろと言うことであり、それならばネット普及にともなうハッカーという用語の悪玉化も甘んじて受け入れるべきだろう。もっとも、もう悪い意味はほぼ定着したようではあるので、今更ではあるけれど。(2008/3/13加筆)

 でも hack という名詞と他動詞は、ハッカー社会だけのことばじゃないんだ。ぼくがこの文を書いたのは、すずきひろのぶさんの文が「hack」ということばについてのものだったから。Hackってのは日常会話で使われる、ごくふつうの英語なんだ。そしてハッカー社会での特殊なhackの用例も、その日常英語での用例があって初めて成立しているものだ。ぼくがこの文章で説明しようとしているのは、その日常英語の用例と、それがどうしてハッカー社会で見られるような意味に転換していったか、という話。

 それに対して、ハッカー社会内部ではかくかくしかじかの用例である、emacs はすばらしいハックだ、という表現もあるぞ、という反論もあったんだけれど、でもぼくにとってそれは、「いやあハッカー社会内部ではかなり用例がゆがんできてるな」という話でしかない。文中に書いた通り、「Oberon はすばらしいハックだ」という表現はするだろうし、「emacs は最高の hack だ」という表現はあるだろう。それを見て違和感を感じる人がいても、ハッカー社会の内部であればそれがどんな意味かはわかる。でも、それは狭いハッカー社会内部でしか通用しない代物だというのも、英語を母語として使っている人は十分に承知しているんだ。

 手短に言えばこういうことだ。「ハッカーはハックする。でも、ハックする人すべてがハッカーじゃない」。わかる? ハックというのは、ハッカーよりも(そしてハッカー社会よりも)広いものなんだ。そしてハッカーだからといって、ハックということばの使い方を人にあれこれ指図できるわけじゃないんだ。ことばはだれのものでもないし、ましてハックということばはハッカーより先にあったんだから。「山形の文だと、ハックということばが大幅にゆがめられてる、無知はこれだから困る」といった意見もあったけど、ちがうんだよ。ゆがんでるのは、ずれてるのはあなたたちの用法なの。そして英語圏のハッカーたちは、それがゆがんでいることを十二分に承知しきってて、でもそのゆがみやずれを逆に楽しんでるんだ。ただ、英語圏に住む人たちにとって、これは説明されるまでもない常識なの。だから、だれもあなたたちに説明してくれなかっただけの話なんだ。

 寄せられた苦情を見ると、日本のハッカー社会では、ハックってのはすばらしいもので、ハックは神々しく、これはハックであるぞよと言われたらみんなひれふさなきゃならないものだという雰囲気がある、のかもしれない。まあこれは誇張だけれど、でも「ハッカーというのはよい意味で使わなくてはならない、だからハックというのも絶対によいものなんだ」と言わんばかりの雰囲気はあった。そこへ「ハックって雑な仕事のことだよ」などのぬかすこの不届き者は何様だ、というわけ。でも、まずこれははっきりまちがってる。ハックにも、いいハックと悪いハックがある。ハックすなわちすばらしいもの、という解釈なら、bad hack ということばをどう解釈するわけ? ハックそのものは、よくもない、悪くもないのよ。

 さらにハック称揚の物言いには、内輪の冗談の部分も大きいんだということは理解しなきゃいけない。「ハッキングとは禅のようなものである」とは言うけれど、でもそれを言ってる人はどこまで本気なんだろうか。ハッカー文化は冗談の文化とも密接につながってるんだよ。ハッカー文化と関わりが深いといわれるSFファンダムでは、FIAWOLということばがある。Fandom is a way of life. ファンダムってのは生き様だ! これはファンダム活動に没頭してる人の将来を案じつつも、あいつはえらいやつだ、という意味で使うことばなんだよ。表面的にはほめてるけど、「あいつ、人生捨ててるんじゃないの?」という意味をこめて使われることだっていくらでもある。あるいは自嘲的に「いーもん、おれ、人生捨ててるけどファンダムに生きるもんねー」と言うような。つまりこれって、内輪でだけ流通する冗談だ。だれも就職面接でそんなことは言わないのだ。

 同じように、ハッキングを禅にたとえるとか、ハッキングを通じて悟りを開くとか、その手の物言いが半分以上が内輪の冗談だってのは、わかれよぉ、バカだなまったく。そんな話をマジに受けるやつがあるかい。何事もつきつめれば、それなりの悟りや哲学に達することもある。ハッキングだってそれはそうだろう。ハッキングは長時間没頭するし、ひらめきが大事だし、そういう禅や悟りに通じる部分があるのは確かだけど、でもハックと聞いてひれふさなきゃいけないなんてことはないんだ。ちなみに英語で「zen」と言ったら、単に「コツ」っていう意味でもあるんだってのは当然知ってる……よねぇ? 日本で中間管理職が「五輪の書」を読んで乱世を生き抜く戦略を学ぼうとしたりするのも、ご存じだよねえ。そんなのを真面目に受け取ったってしょうがないっしょ?

 さらにこの手のジャーゴンってのは、世間とはちがった意味でことばを流通させることで、コミュニティの独自性を誇示する、という機能がある。hackってことばはまさにそうだ。通常は悪い意味で使われるhackを思いっきり転用させていい意味で使って、ほかのコミュニティとの差別化をはかってるんだ。それを理解せずに、コミュニティ内部だけの用法を聞きかじって、日本にやってきてhackってのはあーだとかこーだとか言う――これは愚かだ。いいかい、そのあーだこーだ言う使い方は、英語圏での世間的な用法を前提として、そこからの距離感のために初めて成立している用法だったりするんだよ。それを理解せずに、あーだこーだの部分だけを輸入してどうすんの。英語圏でだって、ハッカー社会以外の人は、ハックという言葉をきいても絶対にきみたちの主張するような神々しいことは思わないんだよ。

 で、もしだよ。もしそうなら、そういうニュアンスを理解せずに「ハッカーはクラッカーじゃない、ハックはすばらしい、ハックは悟りだ」と主張してどれだけ理解が得られると思う? 英語圏から帰ってきてハッカーじゃない人ってのはいくらでもいる。その人たちが、ハッカー社会での偏った用法だけを根拠にしたあなたがたの主張を理解してくれると思う? 「やっぱりあいつらは変な連中だ」と思われるのが関の山だと思わない?

 「MIT にいたからハックの意味がわかると思うな」ってな意見もあった。いやだねえ、ひがみっぽい人は。下の文の中で、MIT だからどうこういう部分があるかね。これは MIT なんか関係ない、英語一般での話だよ。ぼくがハックの意味がわかるのは、ぼくが寝言も日英ちゃんぽんで言うくらいのほぼ完璧に近いバイリンガルだからなの。そっちこそハッカーだからってハックの意味がわかると思いなさんな。ハックってことばはあなたたちだけの所有物じゃないんだから。そんなに使われるのがいやなら、登録商標にでもすればいいのに(と思うときもある)。

 ハッカーたちの好きな Church of the Subgenius という宗教がある。この宗教では、slackってのが大事だ。「あいつは slack のあるえらいヤツだ」と言いあう。slackってことばを見ると、後光がさして見える。でも、slack にそういう神々しい意味があるのは、この宗教内部だけだってのも知ってる。slack は余裕とかゆとりの意味だけれど、slacker ってのは怠け者のモラトリアムのことで悪い意味だ。でも、ぼくたちはそれに文句を言ったりはしない。内輪で「ああ、slack のわからぬあのピンクども(= 不信心者たち)は呪われてしまえ」とは言うけど。slackっていう、ふつうのことばを敢えて変に使って神々しくすることで、外部と自分たちを差別化する―― hack だってそういう面が大きいんだ。それを内輪の外で、得意げに振りかざしなさんな。それは特殊な用法でしかないってのをちゃんと認識してよ。そしてその用法がわかるかどうかは、そのコミュニティへの通行手形なんだから、外部の一般人が一般的な用法をもとにケチをつけてきたら(この文みたいにね)「わかっちゃいねーな(ニンマリ)」と思っておけばいいんだよ。ちなみにぼくはこの宗教の司祭さまだから、きみたちはこの件でぼくに逆らおうなんて夢にしか思ってはいけないんだぞ。そしてこんだけありがたい講話を読めたんだから、ぼくにちゃんとお布施を払わなきゃならないんだぞ。

 というわけで、まとめよう。ぼくはこの文で、ハッカー社会の外で使われる hack ということばの用法をもとに、それがハッカー社会で使われる hack の用法とどう結びついているのかを明らかにしようとした。そうした外部の用法をベースとしつつも、ハッカー社会内部で hack ということばが独自の発展をとげているのは事実。でも、この文ではその発展プロセスにはふれていない。だから直近のハッカー社会内部での用法とは、ずれがある点もあるだろう。ただし、そうした内部での用法そのものが、誇張や換喩、冗談などで歪曲されていて、額面通りじゃない面もあることは理解しなきゃならない。そしてハッカー社会以外に対して hack ということばを使うときには(たとえば「ハッカーはクラッカーじゃない」と主張するときには)、そうした社会の外での用法を理解しておかないと、ことばが通じないおそれもあることは理解してほしい。
 ぼくはこの文が少しでも、日本のハッカーたちとその活動の役にたてばと思う。そして、実際に役にたつと思っている。ただしそのためには、まず「ハック」ということばの用法にある、世間とハッカー社会との大きな溝を認識してほしい。この文は、その溝をなるべく埋めようとするものだ。溝があることさえ知ろうとしないなら、この文は残念ながら、あなたにとってあまり役にはたつまい。

 この文はすずきひろのぶ氏の「Hackの語源」に対して、もうちょっと広い立場から補足説明をしたものだ。いろんなコメントをくれたハッカーのみなさんに感謝する。ありがとう。あなたたちの進む道が、明るくなだらかで平穏なものでありますように。And may slack be with you!


YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
Valid XHTML 1.1!cc-by-sa-licese
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
の下でライセンスされています。