どんなに最高の録音機材と技術を使ったって、くずみたいなパフォーマンスだったらくずみたいなレコーディングにしかならない。最高のパフォーマンスをiPhoneで録音したものに勝てないんです。
「自分たちがやっていることには、初めから答えなんかないんだ」という覚悟がどれだけできているか? 僕はいつもそう自問しています。
覚悟ができていないと「正解」にすがりたくなるからです。だから音程が外れている部分を直す。そして「間違いのないもの」をつくり上げる。一般論に合わせる。でもその結果、アーティスト(素材)の味を殺してしまっている。
はっきり言って、修正するほうが無難なんです。音程が合ってるかどうかは客観的な「正解」がありますからね。悩む必要がない。それに、その「正解」に合わせるのは技術的には簡単です。しかも、そうしておけば、「間違いを残したまま、指摘も修正もせずに世に出すこのスタッフはなんなんだ」という批判を避けることができるわけです。
だけど、そうやって修正して、無難に無難に、きれいにきれいにやっていく音楽に何の意味があるのか。それならば、そもそも全部コンピュータでつくってしまえばいいじゃないか。人間がつくる必要はないという話にもなる。
ラジオNIKKEI第2が『残業が好きになる最高の作業BGM』という番組をやっていて「攻めてるな」と思った。
インターネットでも現実でも死んでいない人が、「のちに亡くなった人に、炎上させられて辛かったという話」を、「インターネットで死ぬということ」というタイトルで本にしているのである。
このタイトルは、単に「死ぬ」というショッキングな単語を使いたかっただけとしか思えない。彼女の自殺未遂といっしょである。ショッキングなことを言う以外にはもう進む道がないのだ。
タモリはインタビューで「他人に期待などしなければ、つまらないことで感情的にならずにすむ。そうすれば人間関係に波風も立たなくなり、円満にだれとでも付き合える」と語っている。
本当に「戦争は女の顔をしていない」。戦場の全ての行為が、沢山人が死ぬということも含めて全て男の仕事なんです。その中に女が交じって狙撃兵までやった。彼女たちが守るために戦った共産党体制下の戦後にあっても、優遇されなかった。むしろ「軍にいた女」はやはり差別を受けていた、ということまで明らかにされていきます。つまり、戦争というのはどういうことかというと、全てが男性的な行為のなかで行われていることであって、そんな中、100万人を超える女性たちが「打倒ナチス」や「共産主義礼賛」という信条で戦場に赴いていたのです。
そういう話を我々は一切知らない。女が軍隊にいた、というだけで「お前は軍隊に行って何をしたんだ」「なぜ狙撃兵となったんだ」という問い、つまり慰安婦ではなかったのか、と考える人が未だに多いんです。それはネット上で見つかるこの本を読んだ感想にさえ、そういった偏見に囚われて、メンタルなことをすくい取らない人たちがいるということに気がつきました。
我々の理解力というのはかなり酷いところにあるんですよ。すずさんがソ連の女性狙撃兵と同じメンタリティーを持って、呉の町で戦後まで戦っていた。戦っていたから、最後に喚くワンカット――彼女はうつむいているにもかかわらず、なんとカメラは下から見上げるカットになっている――があるのです。それは、女性兵士が戦後に評価されないという悔しさと全く同じなんです。それは反戦以前の問題なんです。こういう状況に男たちは、おんな子どもも放り込んで、それでも「戦争が正義だ」と平気で言える。そういう男の論理とは一体なんなんだろう。そういうことを『この世界の片隅に』という映画は伝えているんですよ。
巷では、トランプ政権内のキングメーカーが誰か、という話題が華やかになってきているようだ。私は政権ウォッチが専門ではないので、そうした観察には加われない。だがキングメーカー探しが、トランプ大統領が間抜けなので、というニュアンスを伴っているとしたら、それは危険な想定ではないか。トランプは典型的なワンマン企業社長を長く務めた人物なので、権限委譲と人事掌握については、パターンを持っていると想定するのが自然だ。大企業経営には、部下への権限移譲が相当に伴っていただろう。他方、ワンマンな企業経営スタイルは、特定の参謀にすべて牛耳られるスタイルを避ける意識があって初めて可能であったことが、自然に予測される。現在のところの政権運営も、少数のキーパーソンを選出したうえで、案件にも応じた組み合わせを講じているように見える。キーパーソンの中に法律家はいないが、訴訟対策に抜かりのないタイプは含まれているのだろう。
いずれにせよトランプ大統領の人格に引きずられて、政権を狂った支離滅裂な集団であるかのように扱うのは、建設的ではない。
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濃密な男性社会で、希少な女性という立場を最大限生かしきったところで土俵を移し、ジャンヌ・ダルクよろしくマッチョな男たちに戦いを挑み、最終的に彼らの上に君臨する立場を選んだ小池百合子氏のようにうまく立ち回れるならともかく(だから彼女の目には“誰も信じない”と書いてある)
○第7代合衆国大統領、アンドリュー・ジャクソンは究極のポピュリストであった。19世紀前半の人物であるが、そのDNAが2世紀後の今日になって甦っている。そんな風に考えると、今のトランプ政権のことが理解しやすくなる。それではジャクソニアンとはどういう人たちなのか。ミードの論文からいくつか拾ってみる。
●アメリカはある理念に沿って作られた国家ではない。アメリカは単にアメリカ人のための国家であって、政府は国内のことだけやってればよい。アメリカ例外主義なんてくそくらえ。●ジャクソニアンは外交政策なんて気にしない。問題は国内政治だけだ。でも戦争になったら本気を出す。自由と民主主義の大義なんてどうでもいいが、この国を攻撃するもの(例:ISIS)は絶対に許さない。
●この国のエスタブリッシュメントは信用できない。あいつらは絶対に愛国者じゃない。だってコスモポリタンみたいなことを言うんだもん。そのくせ、俺たちのことを心の中で馬鹿にしている。
●最近はやりの「アイデンティティ政治」なるものが我慢できない。何がヒスパニックだ、LGBTだ。俺たちはたまたま欧州系白人に生まれてしまったために、同じような主張ができなくなっているじゃないか。
●そういうことをうるさく言う「ポリティカル・コレクトネス」なんてものも我慢がならん。何も俺たちは「格差」ごときに対して怒っているわけじゃないんだぞ。施しなんぞ要らねえや。
●われわれジャクソニアンは、軍や警察を無条件で支持する。大きな声では言えないが、Black Lives Matter運動なんかもムカついている。そりゃあ誰だって、ときに間違いはあるわさ。
●銃を持つ権利は神聖なるものだ。合衆国憲法修正第2条こそが最も重要な規定である。それを否定するエリートたちは自分たちの敵だ。
●移民が嫌いなわけじゃない。移民が増えることで、自分たちがこの国の主役でなくなっていくことが不安なだけだ。そしてそういう傾向を助長しようとするエリートは信用できない。
●難しいことは分からんが、そういう俺たちにとってドナルド・トランプはたぶん味方である。文句あっか。
○いやー、まことに明快であります。そのジャクソン大統領は、白人男子を対象とする普通選挙法を実現し、第二合衆国銀行を廃止し、インディアンを強制的に居留地に追いやった。こういう単純明快な民主主義を、ジャクソニアン・デモクラシーと称します。以後よくお見知りおきを。
食い逃げ集団はスペイン北部ベンビブレ(Bembibre)のホテル・カルメン(Hotel Carmen)で2月27日、2000ユーロ(約24万2000円)の宴会を楽しんでいたが、料理を食べ終わると即座に逃走した。
レストランの支配人、アントニオ・ロドリゲス(Antonio Rodriguez)さんはラジオ局カデナ・セル(Cadena Ser)に「踊っていたと思ったら突如として消えた。1分で100人がいなくなった」「少人数のグループに分かれて出て行ったのではなかった……全員が一度に出て行ったんだ」と語った。
レストランのスタッフにも食い逃げ集団を止めることはできなかったという。ロドリゲスさんは「あんなに人数が多くてはどうすることもできない」と語った。
スペイン治安警備総局(Guardia Civil)は、食い逃げ集団は東欧出身者だったとの報道を確認していない。しかし同局のある局員は、食い逃げ集団はスペイン国籍ではなかったと述べ「われわれは食い逃げ集団のおおよその居場所を把握している」と補足した。