内容説明
精緻で鋭利な思考で、21世紀のフェミニズム批評を牽引した竹村和子(1954‐2011)。資本主義と異性愛主義の抜き差しならぬ関係を精神分析を援用して暴き、生政治にあまねく覆われた現代社会におけるフェミニズムの困難な位置に迫る。バトラーら欧米の理論家と濃密な対話を重ね、翻訳の(不)可能性を見据えた上で、なおも、「境界」の危うい裂け目を生きる夢を語る。思索がそのまま自らにはね返る息詰まる場で、読み・書き・考える行為の意味、性と生のありようを根底まで突き詰めようとした著者が残した言葉の数々。盟友・上野千鶴子が、その軌跡をあかす解説を付す。
目次
1 セクシュアリティ(「資本主義社会はもはや異性愛主義を必要としていない」のか―「同一性の原理」をめぐってバトラーとフレイザーが言わなかったこと;「セックス・チェンジズ」は性転換でも、性別適合でもない―パトリック・カリフィア他『セックス・チェンジズ』解説)
2 フェミニズム理論(フェミニズムの思想を稼働しつづけるもの;修辞的介入と暴力への対峙―“社会的なもの”はいかに“政治的なもの”になるか)
3 バトラー解読(異性愛のマトリクス/ヘゲモニー―『ジェンダー・トラブル』について;いかにして理論で政治をおこなうか―『触発する言葉』訳者あとがき ほか)
4 生政治と暴力(生政治とパッション(受動性/受苦)―仮定法で語り継ぐこと
マルチチュード/暴力/ジェンダー ほか)
付論 「翻訳の政治」―誰に出会うのか
著者等紹介
竹村和子[タケムラカズコ]
1954‐2011。元お茶の水女子大学大学院教授。博士(人文科学)。専門は英語圏文学、批評理論、フェミニズム/セクシュアリティ研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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