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「バブル」後記

2010-08-14 samedi

「バブル」について書いたら、いろいろなところから反響があった。
もとのURLで名前が挙げられていた茂木健一郎さんも、勝間和代さんも、それぞれの意見をブログに発表している。
たぶん、このサイトの読者の多くはすでに読まれていると思う。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2010/08/post-be9f.html
(茂木さん「さあこれから仕事だ」というときに邪魔しちゃってすみません)。
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/
私は遠藤店長の言葉のうちに「私に当てはまる批判」を見出し、そのご指摘を多として、これからは反省しよう・・・と思ったわけで、別に茂木さん、勝間さんに批判を加えたわけではない。
その点についてはおふたりともちゃんとご理解いただいていると思うので、心配はしていない。
私が批判したかったのは、日本の出版界の「集中豪雨的」な刊行スタイルである。
集中豪雨的に本を出すと、たしかに世間の耳目は集まるし、パブリシティのコストもカットできる。
けれども、もとは一人の生身の人間がこりこりと書いていることである。
私の場合は、日程がタイトであれば、書きもののクオリティはあらわに下がる。
十分に推敲する時間がなければ、文体もロジックも例証も、どれにも瑕疵が生じる。
それでも品質をリーダブルなレベルに維持しようとすれば、「自分の生活」を削るしかない。
自分がしたいことを我慢し、読みたい本を読まず、見たい映画も見ず、会いたい人にも会わず、稽古も休み、旅行も諦め・・・
でも、そんなふうにしてまで本を書いてどうするのかとふと思うのである。
そこまでする「義理」があるのか。
そう自問すると、「ない」という答えしか返ってこない。
そういうことである。
進行中の出版企画として昨日はいくつかを挙げたけれど、ほかにもまだ二三点あった(忘れてごめんね)。
もちろん、これらは編集者との信頼関係の中で「では、やりましょう」という合意ができたから「企画」が通ったのである。
それ以外に、リジェクトされた企画もたくさんある。
その中には、あきらかに担当者が私の本をよく読んでいない、というケースがあった。
それではコラボレーションは無理である。
講演はもっとひどい。
いきなり大学のオフィスに電話がかかってくるのはほぼ100%講演依頼であるが、私の名前を間違えて読む人がいたし、書名を間違えた人もいた。
「私のどんな本をお読みになって講演依頼されたのですが」という問いに「実は読んでいないのです」と正直にカムアウトした人もいた。ある政治団体からの依頼のときには「私の政治的発言をお知りになった上でのご依頼ですか?」と訊いたら「政治的なことについても発言されているんですか・・・」と反問されたことがある。
そういう仕事はするだけ消耗である。
前から申し上げていることだが、私はテレビに出ない。経営者セミナーに出ない。広告代理店の仕事はしない。医学関係の学会講演には出ない。
テレビに出ない最大の理由は一回だけテレビに出たときに、スタッフが私の顔を見ないで、ずっと時計を見ていたからである。
経営者セミナーは前に一度やったときに前の方でオヤジが二人寝ていたからである。
広告代理店の仕事は、しない理由が多すぎるので、割愛。
医学関係の学会講演はギャラが製薬会社から支払われたからである。
そういう点で私は狭量な人間である。
「きわめて」狭量な人間である、と申し上げてよろしいかと思う。
そのようにナーバスでは、このタフでハードな資本主義社会を生き延びられないぜ、とおっしゃる方もいると思う。
むずかしいのかも知れない。
けれども、やっぱり私には自分の仕事についての、私なりの基準を適用してゆきたいと思う。
うろ覚えだけれど、伊丹十三のエッセイにこんな話があった。

あるとき、伊丹十三のところに雑誌の取材が来た。
インタビューのあと、カメラマンが写真を撮った。
そのとき伊丹十三は帽子をかぶっていた。
「すみませんが、その帽子を脱いでいただけますか」とカメラマンが言った。
伊丹十三はこう答えた。
「私は自分の判断で自分がよいと思って、いまこの帽子をかぶっている。伊丹十三はこういうときに、こういう帽子をかぶったりすることのある人間である。あなたは、それを止めろと言う。よろしい、では、私は伊丹十三であることを部分的に断念しよう。その代わり、あなたは私たち一家の面倒を一生見ると約束してほしい。私は伊丹十三であることで飯を食っている。それを止めろという以上、あなたには私たち一家を生涯扶養する義務が発生すると覚悟していただきたい。」

こんなにまわりくどい言い方ではなく、もっと「さくっ」と鮮やかな言葉だったのだけれど。
興味がある人は初期のエッセイを探してみてください。『ヨーロッパ退屈日記』とか『女たちよ!』とか、あの頃のものです。
私は伊丹十三に一票を投じる。
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