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また締め切りに遅れてしまった

2006-01-20 vendredi

月曜日締め切りの原稿が三本あった。
二本はなんとか書き上げて送稿。今月から連載する通信社と新聞社の月一エッセイである。
送稿してやれやれと思っていたら、新聞の方はそのまま通ったけれど、通信社からは書き直しを求められた。
「はめる絵がない」からという説明であった。
新聞に寄稿を求められるときに面倒なことのひとつは、「挿絵」をいれるので、挿絵画家が構想を練って執筆する時間分だけ前倒しで締め切りが設定されることである。
説明的な挿絵なんかなくていいですと言っても取り合ってくれない。
文章に説明的な(あるいは比喩的な、あるいは批評的な)絵をつけることはたしかにうまくゆけばある種のコラボレーションとして成立する。
『ミーツ・リージョナル』に「街場の現代思想」を連載していたとき、挿絵(というか四コママンガ)を書いてくれたのはアジサカコウジ画伯であった。
このときは毎月、画伯がどんなマンガで応じてくるのか、本を開くのが楽しみであった。
ほとんどの場合、私の本文より画伯のマンガの方が面白かった。
今回、新聞の方の挿絵は山本浩二画伯に頼んだ。
本の装丁と同じ感じである。
私の文章と山本画伯の絵はそこに並べて置かれるだけで、なんとなく「話が通じる」。
画伯のカタログの解説に私は「タブローの力 山本浩二の芸術」という文章を書いた。
これは「挿絵」ならぬ「挿文」であるけれど、本体の絵のじゃまにならず、なかなかよくなじんでいる。
しかし、こんなコラボレーションが成立するのはレアケースである。
だから通信社には「挿絵は止めて、写真にして」と頼んだ。
写真なら通信社にいくらもストックがあるだろうから、その中からトピックに合った適当なものを選んでくれれば挿絵画家の執筆時間だけ締め切りが楽になる。
そう考えたのであるが、最初に送った原稿は内容が抽象的すぎて「はめる写真」がなかったそうなので、書き直しを求められた。
『方法序説』のことを書いたのだが、それに「はめる絵がない」ということは、デカルトの写真が通信社のアーカイブにはなかったのだろう。
ホリエモンとか小泉首相とかなら写真はすぐにみつかるんですけど、と編集者は言っていた。
なるほど。
仕方がないので書き直して、誰でも知っている世俗の人たちのことを書くことにする。
毎日新聞社の『憲法本』はだいたい書き終わった。
枚数はだいぶオーバーしたけれど、書き足すことがあと少し残っている。
締め切りまでにちゃんと書き上げて送稿してきたのは平川君だけ。
町山智浩さんからも、小田嶋隆さんからもまだ原稿が届いてない。
果たして本は予定通り出るのであろうか。
中野さんはさぞや気をもんでいることであろう。
出たら、これはかなり「珍しい本」ということになるだろう。
このラインナップで本を出すという企画はこれまで誰も思いつかなかったのだから、けっこう売れそうな気がする。
「町山智浩の本が出たら必ず買う」という人と、「小田嶋隆の本が出たら必ず買う」という人と、「平川克美の本が出たら必ず買う」という人と、「内田樹の本が出たら必ず買う」という人を単純に足し算するとけっこうな部数に達しそうな気もするのだが、問題は、この読者たちがかなり「かぶっている」可能性があることである。
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