セールスマンの報酬や賞与を業績にリンクさせるなど、成果主義的な「アメと鞭」の原理はビジネスの世界では日常的である。働く動機を与える為には当たり前と思われているが、最近、経済学の分野でその「常識」に対して相反する研究結果が出て話題になっている。後述するが実は「社員は必ず20%は業務外のことをしなければならない」というグーグルの20%ルールや成果主義の背後にも、これら経済学の最新の知見が生かされているのである。
まず、経済学のトップ学術誌で紹介された3つの実験結果を紹介しよう。発表された当時、大変話題になったものだ。
成功報酬が効く時、効かない時
実験1
自動車のフロントガラスを設置する作業で、時間当りの固定給を変更し、設置したガラス1枚当りの成功報酬にしたところ、労働者の努力レベルが上がっただけでなく、より能力の高い労働者を雇用でき、全体の生産性が44%上がった。
実験2
IQ(知能指数)テストに成功報酬を導入し、1問正解につき成功報酬ゼロの場合、少額の場合と高額の場合を比較した。正解率が一番高かったのはゼロ、次いで高額報酬であり、なぜか少額報酬の成績が一番悪かった。また別の実験で、ボランティアの募金運動でも成功報酬ゼロの時が一番集まった募金の金額が多く、少額成功報酬での努力レベルが一番低かった。
実験3
成功報酬が少額、中間レベル、非常に高額(平均月給レベル)という3つのケースを設定し、創造的思考能力・記憶・運動技能を試す6つのゲームをさせた。少額と中間レベルでは成績に有為な差が見られなかったが、高額報酬では成績が目立って低かった。
実験1はエドワード・ラジア教授によるものだ。経済学で言う典型的なプリンシパル・エージェントモデルの結果が当てはまる。
ここでは、仕事を依頼する人をプリンシパル、依頼される人をエージェントと呼ぶ。フロントガラスを同じ時間内に多数設置すれば収入が上がるので、従業員(エージェント)は以前より頑張って仕事をした。成功報酬の努力効果が得られたわけだ。この努力効果が通常私達が考える「アメと鞭の原理」だが、これに加えて能力の高い労働者を雇用することができるという効果もあった。
能力の高い人が引き寄せられる成功報酬制度
すなわち成功報酬制度では能力の高い労働者は高収入を期待できるが、能力の低い人にとっては見込める収入がわずかで魅力的な仕事ではない。従って、成功報酬の仕組みを適切に設定して、その内容をあらかじめ知らせておく事で、能力の高い人だけが雇用を求めるようになったのだ。これを成功報酬のスクリーニング(ふるい分け)効果と呼ぼう。
実験2のケースは、成功報酬の有無がもたらす結果の差を研究したものだ。成功報酬がない場合は、IQテストをちゃんと受けようとか、あるいは困っている人を助けたいなどという内面的価値・モチベーションでエージェントが行動した。ところが成功報酬をもらえるとなるとつい金銭的報酬に目が行き、その結果努力に向けた内面的モチベーションは、「正しい事をするため」から「金銭的な報酬のため」になってしまった。つまり内面的モチベーションが消されてしまったのだ。
少額報酬ではこの失われた内面的価値・モチベーションの分を相殺しきれず、エージェントの努力のレベルが下がった。このように金銭的成功報酬が内面的モチベーションを下げてしまう現象を「モチベーション・クラウディングアウト(締め出し)効果」という。成功報酬で会社のために頑張ろうと思うやる気のある社員の気持ちをかえって損なうので、これはビジネスに取っては大きな問題だ。
そして、成功報酬の最も深刻なマイナス点と考えられているのが実験3に出てくる緊張効果と歪み効果だ。
深刻なのは「緊張効果」と「歪み効果」
これは『予想どおりに不合理』(早川書房)の著者としても知られる行動経済学者ダン・アリエリー教授による実験結果である。高額の成功報酬がむしろ逆効果になるケースだ。
最初の問題は、高額成功報酬の「緊張効果」である。簡単なゲームをするだけで1カ月分のお給料がもらえるので緊張、つまりあがってしまう。ゴルフや野球等のスポーツでもここぞという時に実力を発揮できない事があるのと同じだ。高額のボーナスがもらえたり、自分の昇進がかかったりしているプロジェクトなどについて人は一生懸命頑張るが、緊張のあまり必ずしも成果につながらないというのは、誰でも身に覚えがあるだろう。
また緊張効果とは別に、成功報酬はエージェントの意識を良くも悪くも特定の目的に集中させる。業績評価の対象になるものだけに目が向いて全体像が見えなくなり、総合的な判断や創造的な問題解決ができなくなってしまう。仕事の成功報酬がもらえる一部の側面(売り上げ、費用削減、時間など)だけに目が向き、他の面がおろそかになるため、仕事のやり方や意識にゆがみが出る。これが成功報酬の「歪み効果」だ。
この歪み効果は問題ある行動につながりかねない。労働時間が評価指標だと、意図的にだらだらと仕事をしたり、必要がないのに残業をしたりすることが起きる。また、今期の営業成績が評価指標だと、売り上げだけに気を取られて食品の産地や賞味期限を書き換えてしまうなどということも起きる。昇進も含めた成功報酬があまりにも狭い領域・業績評価指標に限定されている(と思われている)ためにこういったことが起きる。インセンティブの問題だけでなく、不正にもつながりかねない。
創造性が必要な業務に成功報酬は難しい
歪み効果の点から特に成功報酬が最も難しいとされるのが研究開発活動だ。研究開発活動ではあらかじめ仕事の範囲・目標や目標達成期限などを決められるものではなく、研究者の自由な発想が必要だ。成功報酬では研究者の努力に対して総括的に報いる事はできず、どうしても歪み効果が出る。高額になればなるほど歪み効果は大きくなり、創造性を必要とする仕事であればあるほど成功報酬が逆効果になりやすい。
こうした経済学の研究結果が話題を呼び、成功報酬が大変盛んな米国のビジネス界でもその難しさが注目されるようになった。研究開発など創造性を必要とする業務が企業の生命を握っていることから、とりわけ「歪み効果」が注目されている。
歪み効果の解決方法として有力視されているのは 成功報酬を廃止、あるいは業績評価基準を極端に広く曖昧に変更すると同時に、従業員の内面的モチベーションを培うことである。
社員に愛される会社にする事で、この会社のためになら頑張ろうという意識を持ってもらうのだ。有能な社員を集めるには十分な固定給を給付するのも重要だが、それだけではなく社員として誇りを持てるように労働環境を整えたり社会貢献を社員とともに取り組んだりするなど、それぞれの会社のやり方で対応している。有名なのはグーグルのケースだ。
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