「猫さん五輪消滅」

 という記事の見出しを見て、ただちに状況を把握できた人は、かなりの事情通だと思う。
 私は意味がわからなかった。
 普通の人間は、最初の「猫さん」でつまづく。

「ねこ?」
「ぬこか?」
「なんで猫に敬称がつくんだ?」

 と、そう思った瞬間に、その先に考えが進まなくなる。

 より軽率な人々は「猫さん五輪」という不可思議な言葉に乗っかったカタチでイマジネーションをふくらませてしまう。

「つまり、にゃんこのオリンピックが企画されていたということなの?」
「あら、かわいいかも」
「ニャンリンピック賛成」
「石原閣下は全力で誘致すべき」

 ちなみに解説すれば、当該の記事はネコリンピック招致合戦の帰趨について報告したものではない。猫ひろしという芸名で活躍しているタレントの五輪出場への可能性が消滅した件について述べている。以下引用する。原文はこちら

《カンボジア国籍を取得しロンドン五輪男子マラソン代表に選ばれたタレントの猫ひろしさんについて、国際陸上競技連盟は「特例」での五輪出場を認めなかった。背景には婚姻など特別な事情を除いた国籍変更について、国際陸連が以前から厳しい姿勢を貫いてきた事情がある。》

 見出しの曖昧さとは裏腹に、記事は明快だ。記者は、「特別枠」での五輪参加について以下のような感想を述べることで文章をしめくくっている(以下の引用はこちら)。

《国際陸連は、全種目を通じて五輪参加標準記録を突破した選手がいない場合、1カ国・地域について男女各1人の五輪出場を認める特別枠を設けている。男子マラソンで五輪参加標準記録B(2時間18分0秒)を突破していない猫さんが一度はカンボジア代表に選ばれたのも、この特別枠の対象としたからだ。

 だが、特別枠は国際陸連が憲章でうたっている「陸上競技の世界的な普及発展」を目的としたもの。他国の選手が国籍を変更して、一つの特別枠を活用することが普及発展につながるのか。こうした疑問に応える理由を持ち得なかった面は否めない。》(毎日新聞)

 よくまとまった記事だと思う。私が付け加えるべき言葉はひとつもない。

 デスクが見出しに「猫さん」を持ってきたのは、おそらく、その方が面白いと思ったからだ。遊び心といえば遊び心。アイキャッチを意識したという意味では、プロ根性だったのかもしれない。

 別の見方もできる。
 もしかして、デスクは、印象として不真面目であることがわかっているからこそ、あえて「猫さん」の見出しを採用したのかもしれない。

「冗談じゃない。オレは意地でもマトモな見出しはつけないぞ」

 と、彼の記者魂が、このたわけたニュースに正攻法の見出しを付けることを拒否したわけだ。
 なるほど。

 通常のスポーツ記事の基準からすれば、「猫ひろし」のところには、日本名カンボジア名のいずれであれ、本人の公式な名称である本名を書かなければならない。
 事実、共同通信をはじめとするいくつかのソースは、『タレントの猫ひろし(本名滝崎邦明)さん(34)』と但し書きを付けた書き方をしている。

 が、それも一行目だけだ。
 二行目以降は、各紙とも「猫さん」「猫ひろしさん」と、おなじみのタレント名称で呼びかけている。読者にとってのわかりやすさを優先したと言えばそれまでだが、要するに、記者は、生身の一個人としての滝崎邦明の五輪挑戦について記事を書いていたわけではなくて、あくまでもタレント猫ひろしの活動にスポットを当てていたのだ。というのも、滝崎某の2時間30分台の走りには何のニュースバリューも無いわけだし、カンボジア国籍を取得した日本人の物語も、それがタレントの知名度とセットになっていない限り、誰も読まないことはわかりきっているからだ。

 オリンピックはもうずいぶん前から、そういうものになっている。
 つまり、競技としての面白さやアスリート個人の優秀さよりも、読者を連れてくる話題としてのニュースバリューや、広告主を引っ張ってくる映像の商品価値が重視されるイベントになっているということだ。

 東京オリンピックが開催された当時、ホスト国である以上当然といえば当然だったのだが、わが国のメディアは、すべての競技を紹介するべく、あらん限りの努力を傾けていた。

 それまで誰も見たことのなかった不思議な競技や、当時の日本人の生活習慣とはまったく無縁な種目にも、十分な放送時間が割かれていた。で、それらの奇妙でわくわくさせる異形の人々による名人芸は、五輪中継を見ていた子供たちの人生に、有形無形の多大な影響をもたらしたのである。

 東京大会の後も、オリンピックが開催される度に、テレビ中継は、あの東京での興奮をなぞるカタチで、最大限仔細に放送された。日本人が出ない競技でも、世界が注目する人気競技には多くの放送時間が割かれ、その大会の注目選手には最大限の敬意が払われていた。

 だから、われら昭和の子供たちは、ジャン・クロード・キリーの名前を暗記し、マーク・スピッツのスイミングフォームをまぶたの裏に刻み、フォズベリービーモンの跳躍を何十回も反芻したものなのである。
 それが、いつの頃からなのか、五輪放送は、自国選手中心の応援中継のごときものに変質した。

 時期について言うなら、おそらく、ソウル五輪以降、1990年代の半ば以降からだ。この頃を機に、日本人選手の出場しない種目は、よほどのことが無い限り生放送されないようになった。
 そういえば、この件(←五輪中継の国粋化傾向)についてはいつか書いたことがある。トリノ五輪の中継で、NHKが放送中の男子ダウンヒル決勝の中継を中断して、スノーボード女子ハーフパイプの日本選手滑落映像を流し続けたお話だ。

 ともあれ、私は、この「ガンバレニッポン!」の「日本チャチャチャ」の国粋五輪体制が鬱陶しくて、21世紀に入って以来、五輪に対しては冷淡に構えるようになってしまっている。

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