九州電力によるいわゆる「やらせメール」問題は、発覚以来、拡大し続けているように見える。以下、これまでに報道されたところを、時系列に沿って列挙してみる。
・6月26日:佐賀県のケーブルテレビ局が、運転停止中の玄海原発(2号機と3号機)の再稼働について理解を求める県民向けの説明番組(←経産省主催)を放送した。
・7月2日:日本共産党の党機関紙「しんぶん赤旗」が、26日の放送で紹介された視聴者からのメールの中に、九電の関係者の働きかけによる「やらせメール」が含まれていた旨を報道。
・7月4日:佐賀県議会原子力安全対策等特別委員会において、共産党の議員が「やらせメール」問題を追及。これに対し、参考人として呼ばれた九電の中村明・原子力発電本部副本部長は、「(社内や関係会社に)どうこうしろと言った事実はございません」と「やらせ」疑惑を否定した。
・7月6日:九電の社内調査で、同社幹部が再開賛成の意見を電子メールで送るよう、自社や子会社の社員らに働きかけていたことが判明。真部利応(まなべ・としお)社長が同日、会見して謝罪した。
・7月13日:九電は、経済産業省に提出する調査報告書で、「やらせメール」が、当時の原子力部門を統括していた前副社長(6月末に退任)の指示を発端にした組織的な行為だったことを認定。
……当欄でこれ以上細かい検証をするつもりはない。私は自分の足で取材したわけでもないし、新聞に書かれている以上の事情は何も知らないからだ。
ただ、報道された内容を追うだけでも、わかることはわかる。現時点で、はっきりしているのは、「やらせメール」にかかわった九州電力の関係者が、上から下まで、かなり致命的に無能だったということだ。
「やらせメール」が不公正な手段であったという点について、議論の余地は無い。誰がどう見ても、どこからどう評価しても、九電の情報工作は著しく不誠実な所業だった。
が、問題は、「卑怯」とか「不実」とか「傲慢」とか「薄汚い」とかいったところにはない。
無論、電力会社は卑怯であるべきではないし、ライフラインをあずかる業者が欺瞞的であって良い道理もない。
が、卑怯でも邪悪でも傲慢でもウソつきでも、もし九電が原子力発電所を管理運営する者ふさわしい胆力と有能さを備えているのであれば、罪は罪として、私は、これほど大きな憂慮を抱かなかった。
問題は、彼らの無能さにある。
たとえば、自分が乗る飛行機のパイロットに、私は、必ずしも高潔な人格を求めない。
助平でもウソつきでも足がクサくても阪神タイガースのファンであっても、腕の良いパイロットであるのなら、私はキャプテンの手腕を信頼して、おとなしく座席に座る。
反対に、愛妻家で正直者で曲がったことの大嫌いな好人物であるのだとしても、その男が下手くそなパイロットであるなら、私は彼の操縦する旅客機に乗りたいとは思わない。
九電の幹部が、原発再開のために汚い手を使ったことは、ほめられたことではない。人間として恥ずべきことだとも思う。
しかしながら、彼らが、原発の安全性と必要性を心の底から確信していて、その「何ものにも代えがたい原発の稼働という現実」を防衛するために、あのような手段に訴えたというのであれば、その気持は理解するにやぶさかではない。
安全性や必要性とは別に、やらせメールを指示した九電の面々の目的が、単に利益(既に完成済みの原発を動かし続けることは巨大な利益を生む)に過ぎなかったのだとしても、それはそれで、ギリギリわからないでもない。あまりにも巨大な利益は、倫理や道徳を超えて、日輪の如くにまばゆく見えるはずだからだ。
おわかりだろうか。つまり私は、九州電力の関係者が、彼らの生命たる原発の再稼働を果たすべく、なりふりかまわずに世論誘導という極端な手段に打って出たところの心根を、ここでは、とりあえず、百歩譲って、汲んでさしあげても良いと、かように申し上げているのである。
とはいえ、仮にも一人前の男が、道を踏み外した手段に訴えるのであれば、彼は通常の業務に取り組む場合とは比較にならない真剣さで、その仕事に取り組まなければならない。当然だ。
「法の外で生きる男は」
と、ボブ・ディランも歌っている。
「誠実であらねばならない」
武家社会における職業的なテロリストであった忍者は、倫理道徳はおろか、愛情や家庭生活といった人間的な要素のことごとくを、あらかじめ捨て去った世界で生きること(つまり「忍ぶ」ということ)を自らに強いた人々であった。必死というのはこういう姿勢を言う。
もし、九電のやらせメール工作が「必死」の業であり、その世論誘導の手練手管が、文句のつけようのないほどに周到で、また精緻かつ老獪であったのなら、私は、彼らの根性の卑しさを蔑む抱く一方で、「これだけの仕事をやってのけた連中なら、もしかして原発の安全管理を任せても大丈夫なのかもしれないぞ」というふうに評価したかもしれない。原子力発電所の安全は、とびきりに優秀な人間が、命がけの真剣さで取り組んではじめて可能になるテの、極めて困難なミッションだ。とすれば、その安全を支える人間たちが掲げる倫理は、もしかすると通常の世界の倫理とは次元が違っているのかもしれないからだ。
ところが、倫理をどうこう言う以前に、九電の世論誘導は、作業として小学生レベルだった。
というよりも、報道されているところを確認する限り、彼らの仕事は誘導にさえなっていなかった。
幼稚園児の「指きりげんまん」以下。針千本を呑む覚悟さえ持っていなかった。
概要は以下のとおり。
1.裏工作を志す以上、電子メール(一度発信したメールはどんなことをしても決して消せない。送り手が消しても、受け手が削除しても、メールの痕跡は、そこかしこのサーバに様々な形で残存する)での依頼は問題外なはず。なんとなれば、発覚した場合のリスク(原発管理者にとって「信頼」の喪失は、原子炉にとっての冷却用電源の喪失に等しい致命的なダメージをもたらす)が、あまりにも大きいから。
2.いかに子会社の人間とて、全員が親会社の意向に従うとは限らない。まして、指示は不正を含んでいる。こういう場合、秘密の防衛は、それを知り得た人数の自乗に比例して困難になる。
3.指示のメールを受け取った子会社の人間がまたとてつもなく無邪気で、彼らは、不穏当な内容を含むそのメールをそのまま複製・印刷し、野放図に転送・回覧していた。「やらせ」が不正であるという自覚を欠いていたのか、でなければ「不正」そのものについての感覚が麻痺していたのか。いずれにしてもマーベラスな無神経と言うほかに言葉がない。
4.江戸時代ならいざしらず、21世紀の電子化された情報社会で、こんな「正々堂々とした不正」が、発覚せぬままに経過することは原理的にあり得ない。
まるで、インターホンを押して本名を名乗ってから侵入する窃盗犯だ。
彼らは、もしかすると、普段から正規の広報活動と不法な裏工作を特に区別することなく、それら二つを不即不離の日常業務として併存させていたのかもしれない。三歳児の万引きレベルの自意識。けがれなきいたずら。すごい。
うしろぐらい作戦を敢行する人間は、ふつう、メモもメールも残さない。電話さえ滅多に使わない。必ず、相手と直接に対面しながら、あくまでも口頭で、すべての指示を伝える。
たとえば、「26日の合コンだけど、あれ、ヤナセには内緒な。あいつ来るとめんどうだから」ぐらいな、ごくごく非公式な秘密連絡であっても、賢い組織人なら、メモやメールは経由させない。必ず口頭で伝える。聞き手の顔に真剣味が感じられなかった場合は、恫喝も辞さない。
「あと、この件は給湯室の女子にもオフレコだぞ。漏らしたヤツは終わりだからな」
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