iPadを見た。
買うことになるだろう。
わかっている。どうせ買うのだ。それもたぶん一週間以内に。三日か五日の間買わずに我慢するのは、自分に対する言い訳に過ぎない。あるいは手続きみたいなものだ。よく頑張ったぞオレ、とそう自分に言い聞かせながら、でも結局買う。いつもそうなのだ。セルフおあずけストラテジー。デジタルマゾヒストのティピカルな行動パターンのひとつだ。
見せてくれた編集者氏は、ほとんどアップルのセールスマンだった。それほど全力で私にiPadの魅力をアピールした。
「で、ここをこうするとほらフォトフレームになるわけです」
「……うう……」
「動画も見られますよ」
「……うう……あ……」
「ね。なかなかの画質でしょ?」
「…………」
それにしても、こういうブツをいち早く手に入れた人間は、なにゆえに必ずや布教活動を展開することになるのであろうか。あまた生まれいずる市井のペテロたち。その無償の情熱と行動力。
とにかく、事ここに至ったらもうダメだ。経験上よく分かっている。迷っているということは、じきに買うということなのだ。
買わない物件については、最初から迷わない。迷いが生じているということは、すなわち買うためのルーチンに突入したことを意味している。
今回は、話題のiPadについて、購入前の段階で自分が感じていた(←既に過去形)いくつかの抵抗点を記録しておくことにする。
買えばどうせしばらくは夢中になる。
が、買うまでのしばらくの間、買わないでいるための理由が自分の中に存在していたことは事実で、その理由が一定の説得力を保持していたのである。
当稿では、それを書く。私がiPadを買うべきでない理由について。無駄な抵抗だが。読者の皆さんの後学のために。
「オレは第三世代を買うよ」
と、私は発売前から、周囲にそう宣言していた。
それが一番賢い買い方だからだ。
いや、本当のところ、このテのガジェットについては、愚かな購入事例が数例あるばかりで、賢い買い方なんてものは、そもそも存在しないのかもしれない。が、それでもやっぱり初期バージョンに飛びつくのは、愚かな処世ではある。猫舌のくせにチーズフォンデュに目がない男、みたいなこの種の前のめりの購入者を、業界の人間は「人柱」と呼んでいる。そう、橋梁や城郭の造営に先立って、基礎固めないしは魔除けのために土壌に埋められた不運な人々の別名だ。現在の土木業界では、人柱の使用は文字通りの意味では廃止されている。が、新発売のブツに付随する比喩的な意味での人柱は、間違いなく実在する。
実際、初期バージョンの初期不良を生身で味わいつつ、それらの経験を貴重なフィードバック情報として提供する捨て石のユーザーがいないと、新製品は市場に定着することができないものだからだ。
時代のバスに乗り遅れるな、と、アジテーターは言う。
が、だまされてはいけない。
時代のバスに類するものが仮にあるのだとするなら、それは、全員が乗るまでは発車しない仕様になっている。あたりまえの話だ。
むしろ警戒せねばならないのは、時代のバスに先立って出発する粗忽者のバスにうっかり乗ってしまうことだ。
先行者の多くは予期せぬ罠に落ちて早死にする。あるバスは腐った橋桁とともに谷底に落下し、別のバスは案の定の地雷を践む。無論、幸運な何台かのバスは、目的地に到達することだろう。が、ゴールに着いた時、荒れ地を走ったバスの乗客は満身創痍になっている。その九死に一生をゲットするに至る旅を楽しめるのでないのなら、初期バージョンには飛びつかない方が無難だ。
銘記しておこう。時代のバスは、遅れ気味に出発する。
前車の覆る様子を十分に観察した上で進むのが賢者のルートハンティングだ。
とはいえ、先行者には先行者の至福がある。
足跡のついていない大地。未踏の山々。僕の前に道は無い。僕の後ろに道は出来る。ああ、自然よ。父よ……そういうポエティックな至福と詩的な破滅。ああ。足の下には穴がありました。ああ。
てなわけで、新しい何かを見つけた冒険者の足は、自動的にその方向に進む。余儀なく。
幸いなるかな青き梅を食する者、汝らは天国への先駆けなればなり。てな調子で。
思えば、私は青いリンゴには必ず手を出して来た。
そして、毎回必ず歯茎から出血しつつ、ほとんど栄養を摂取することができぬまま、また次の未成熟リンゴを購入するための行列に加わっていた。
にもかかわらず、私はいつでもアップル製品を優遇し、大切にし、愛情を注いできた。
なぜだろうか。
宗教?
そうかもしれない。
マッキントッシュの初期バージョンは、79万9千円の現金正価で購入した。よろこんで。
なぜかって?
仏壇を値切る客がいるか?
そんな罰当たりなことを誰が出来る?
ともかく、私が当時友人と三人でまわしていた会社では、アップル社が新製品を出す度に必ず購入することが決まりごとになっていた。われわれはマックを使って仕事をしていたのではない。むしろ、マックを買うために仕事をしていた。当時は、そういうオフィスが珍しくなかったのだ。
時おり、事務所を訪れる学生が
「この、マッキントッシュっていう機械は、何かの役に立つんですか?」
と、無神経な質問をしてくることがあった。私は、胸を張って答えたものだ。
「役に立つ仏壇があるか?」
と。
そう。仏壇もマックも、目に見えるカタチで何かの仕事をしているわけではない。が、信者の安心立命に寄与している。それ以上に何を望むことができる?
マックは何年動いたのだろうか。
おそらく、健康に働いていた期間は、通算すると一年に満たなかったはずだ。
主たる仕事は、爆弾マークを表示することだった。
「ん? なんだこの爆弾は」
「生理休暇だよ。そんなことも知らないのか?」
われわれは、どこまでも寛大だった。カラダの弱い新任OLをいたわるみたいにして、万全の看護体制で臨んでいた。
iPadが世界を変えるのかどうかはわからない。
が、私の世界は変わる。それはあらかじめわかっている。私はどうせ抵抗できない。購入して、持ち歩いて、見せびらかして、おかげで、スケジュールのあちこちに穴があくのだ。
私は新しいバッグを模索することになる。iPadがすんなり入って、それでいて見た目に鈍重でないような、そういう新しい容れ物を求めて、私はかなりしばらくの間町をさまようはずだ。
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