朝日新聞が池上彰さんの連載コラムを掲載拒否したことを発端に起こった騒ぎは、2日ほどでなんとなく落着した。

 まだ決着はついていないと言う人もいるだろうし、収束させたくない人たちもいると思う。

 収束とか決着とかそういうことではなくて、問題になっているのは朝日新聞の体質なのだからして、この話は朝日新聞を廃刊に追い込むまでは終わらないのだ、とそういうふうに考えている方々もいるはずだ。

 私は、単純に、バカな話だと思っている。

 一見、この出来事は、表現の自由をめぐるやりとりであるかに見える。「言論封殺」に関連した重大事件であるようにも見える。

 まあ、部分的には表現の自由にかかわってもいるのだろうし、言論封殺と言えば言えるかもしれない。
 でも、私は、それ以前の問題だと考えている。

 つまりこれは、ジャーナリズムがどうしたとか、社会の木鐸がハチのアタマだとかいった話題である以上に、組織人の事なかれ主義と縄張り根性がもたらしたドタバタ劇で、つまるところある種の大企業病の一症状が、最もみっともないカタチで表に出てしまった事例だということだ。

 池上さんが担当していたのは、「新聞ななめ読み」というコラムだった。
 実は、私も、この4月から7月まで、毎日新聞紙上で、よく似た趣旨のコラムを連載していた。

 私が担当していたのは、「メディア時評」という100文字足らずの短いコーナーで、連載頻度は、月に一度、内容は、その月の新聞各紙(毎日新聞を含む)ならびに放送メディアについて、気がついたことを書くというものだった。

 執筆にあたって、毎日新聞の担当者からは、「テーマの選び方と内容は自由」「毎日新聞への批判もOK」と言われていた。実際にも、内容について新聞社の側から注文やクレームがついたことは無い。

 もっとも、事実関係や用語の使い方についてはその都度問い合わせや確認があったし、最終的に活字になるまでには、毎回、ゲラを戻したり電話で相談したりのやりとりが何回もあった。

 一般に、新聞社の校閲は、雑誌メディアのそれに比べて、細かいところにアカ(赤字、編集部による修正)を入れてくる。編集部の人間も、表現の細部に関与してくるケースが多い。私は、若い頃に新聞社と付き合うことが多かったので、その点では、ある程度慣れているのだが、新聞社独特のマナーとして、執筆者に対してルビの振り方や、カタカナ用語への注釈、表記基準の統一など、さまざまな点で、「うちのやり方でやってもらいます」的な「作法」を押し付けてくる気味があるのは事実だ。書き手によっては窮屈さを感じるかもしれない。

 とはいえ、新聞社の人間が、外部の執筆者の言論を枠にはめようとすることは、原則的には、あり得ない。

 というのも、そういうこと(他人の言論を制限すること)が、自らのクビを絞める態度である旨を、彼らは、本来は誰よりもよく知っているはずの人々だからだ。

 なので、池上さんの連載コラムに関して、「掲載拒否」→「連載中止の申し入れ」という経緯があったという話を聞いた時、私は、かなり真面目に驚いた。 

 執筆者の側がよほどとんでもない原稿を送りつけたのか、でなければ編集部の側がよほどとんでもない強要をやらかしたのでない限り、そういうことは起こらない。いずれにせよ、連載コラム原稿の掲載拒否というのは、とんでもない事態だ。

 ……と思っていたら、ツイッター上で騒ぎが伝えられて半日もたたないうちに、朝日新聞社は、敏速な対応をした。

 彼らは、当初の判断を放棄して、池上さんの原稿をそのまま掲載(翌日の朝刊)することにしたというのだ。
 なるほど。

 これは余談として述べることなのだが、今回の出来事に関して、朝日新聞の上層部がいつになく素早い対応を示した背景には、同社の記者がツイッター上で実名のアカウントを公表していることがあると思う。

 朝日新聞社は、ある時期から社員が実名でツイッターのアカウントを持つことを公式に容認している(容認していない新聞社もある)。
 それゆえ、同紙の記者は、ふだんから、ツイッター上で活発に発言している。

 今回の問題についても、情報が流れるや、多数の記者が、ツイッター上で自社の判断を批判する意見を表明している。
 朝日の幹部が迅速な対応を迫られた理由のひとつには、今回のような事態に際して、末端の記者の声と、会社の公式の判断との間に齟齬が広がることを避けようとしたことがあるはずだ。

 そう思ってみれば、記者個人が公式の紙面とは別に、私的な意見表明のチャンネルを持つことは、リスク回避の施策としても一定の意義を持っていると言えるのではなかろうか。今回のようなケースでもそうだが、もっと深刻な事態(たとえば何らかの「圧力」や「空気」に押されて、紙面が硬直化してしまうようなケース)では、記者個人の非公式の声が、より大きな意味を持つことになるはずだ。

 というよりも、いまどき、記者であれなんであれ、社員の個人的な活動を規制する方がどうかしている。
 ほかならぬ自社の記者の私的な言論を封じておいて、いったいどうやって言論機関の基盤を守れるというのだろうか。

 さて、無事掲載されたコラムを読んでみると、池上さんの原稿は、至極まっとうな内容だ。

 朝日新聞社の姿勢のある部分を批判していることは事実だが、どこからどう見ても、文句のつけどころの無い文章だと思う。
 朝日新聞が、当初、この原稿を掲載できないと判断した根拠は奈辺にあったのだろうか。
 私には見当もつかない。

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