総選挙の結果がいずれに転んでいるのか、これを書いている私はまだ知らない。

 この原稿がウェブ上に公開される頃(月曜日の未明)には、大勢が判明しているはずなので、選挙結果を確認した上で、アップ1時間前ぐらいのタイミングで最終稿に手を入れることは、原理的には可能だ。が、そういう手間をかけるつもりはない。私はカトリック系の幼稚園に通った人間で、日曜日は神様だって休んだという教えだけは、死守しているからだ。それに、当テキストは、選挙の結果とはあんまり関係がない。

 「選挙運動とウェブ社会」「政治とインターネット」ぐらいな話題には若干触れることになるだろうが、それとて、今回の選挙の個別的な結果とは無縁な話題だ。ともあれ、麻生さんは自○自○だった。お疲れさま。○には好きな字を入れてください。自由自在。自業自得。自縄自縛。自民自慰。自給自足。自画自賛。自立自尊。自学自習。自責自刃。自暴自棄。自派自爆。自作自演。いずれでも、お好きな言葉を。

 今回は、「祭り」について考えてみたい。

 リアルな「祭り」ではない。三社祭やYOSAKOI騒乱もそれはそれで面白い題材だが、私が俎上に上げたいと思っているのは、インターネット上に設置された匿名の巨大掲示板である2ちゃんねるの「祭り」だ。

 2ちゃんねるの用語辞典である「2典PLUS 」は、「祭り」について「 現在進行のイベント、事件などについて特定のスレ上でもりあがること」と説明している。ここでいう「スレ」は、「スレッド」の略。「スレッド」とは、ジャンル分けされた掲示板(←「板」と呼ばれる)の中の1個のページに相当するものだ。2ちゃんねるは、1スレッドにつき1000件の記事が書き込める仕様になっている。なので、短期間のうちに特定のスレッドに、書き込みが集中すると、スレッドはまたたく間に消費され、「○○スレ2」「○○スレ3」というように、次々とナンバリングされた続編スレッドが立てられることになる。この、書き込みの集中によるスレッドの過剰消費および乱立状態を指して2ちゃんねるの人々は「祭り」と呼んでいるのである。

 2ちゃんねるでは、たとえば、どこかの誰かが問題発言をしたり、社会的に注目度の高い事件が起こったりすると、その話題についてのスレッドは「祭り」状態になり、一日か二日のうちに10スレ、20スレとスレッド数を重ねることになる。

 「祭り」は、珍しい現象ではない。

 「アニメ」「児童ポルノ」「少年犯罪」「モー娘。」「石原閣下」「筑紫さん」「ガンダム」など、インターネット文化との親和性の高い話題や、「2ちゃんねる」自身についての情報を含んだ自己言及的なニュースが祭りになりやすいという傾向はあるものの、祭りの規模は、おおむねスポーツ新聞の見出しの大きさに比例している。

 「祭り」は、2ちゃんねる市民(「2ちゃんねらー」と自称していたりする)の関心をダイレクトに反映した、自然発生的な現象であるとも言える。祭りの噂が祭りの勢いを加速させるという自家中毒的な傾向はあったが、それは現実社会でも同じことだ。行列は行列を呼び、人混みは人混みを吸い寄せ、野次馬は野次馬を引きつける。鏡を見て興奮するガマと一緒。そもそも阿呆でなければ踊らない。そういうことになっている。

 が、選挙を間近に控えて、掲示板の様子は違ってきていた。
 具体的に言うと、掲示板自体が、政治的なプロパガンダの場に変貌していたのである。
 で、「祭り」の様相も、「デモ」や「街宣」に近い、キナ臭いものになっていた。

 こんな短期間のうちに、これほど露骨な変化が起こったのは、おそらく2ちゃんねるの歴史の中でははじめてのことだと思う。

 たとえば、投票1週間前の「ニュース速報+」板は、自民党支持の2ちゃんねらーと、民主党支持の2ちゃんねらーが双方の党首や候補者や政策を攻撃するためのスレッドが乱立して、板自体が落ちる(←書き込みの総量が一定の限界を超えて、負担に耐えかねたサーバがダウンする現象)ことさえあった。

 ここで、一応解説しておくが、2ちゃんねるの掲示板は、話題ごとにジャンル分けされている。

 たとえば、「ニュース」全般は、「ニュース」という「カテゴリー」(大分類)に分類され、その中に、「ニュース速報」「芸スポニュース」(芸能スポーツ)「科学ニュース」といったような、より細かくカテゴライズされた「板」が並立している。

 で、その板(たとえば「ニュース速報+板」)の中に、個々の話題としての「スレッド」が立つわけだ。
 
 ちなみに「ニュース速報+」における「+」(プラス)の意味は、「この板は、キャップ(資格)を持った『記者』と呼ばれる人間だけがスレッドを立てる権利を持っている板だ」ということ。資格制を持ち込むことで、些末なスレッドが立つことや、板全体がスレ立て合戦に陥るリスクを避けるということなのだそうだ。

 とはいえ「記者」も、色々だ。ある記者には「特定の思想や立場を推進することを旨とした工作員」なのではないかという疑惑がつきまとっているし、別の記者は「一人の人間ではなくて、一つの記者名を何人かのグループが共同運営している」と噂されている。事態は単純ではない。

 とにかく、+の記号が付加された板には、ある程度の公共性がある、ということらしい。
 私個人は半分ぐらいしか信用していないが。

 で、その「ニュース速報+」の板が、この半月ほど、えらく荒れていたわけです。

 通常の状態では、政治の話題は、全体の3分の1にも満たないのだが、ここしばらくは、ざっと見て政治ネタが3分の2を占有していた。しかも、そのスレッドが、いちいち祭り状態にあって、消費が異常に速かった。

 たとえば、8月の半ばには、「日の丸スレッド」が93スレッドを消費している。
 これは、民主党のある支部が、民主党の党旗を作るために日の丸を改造(「切り刻んだ」と言われている)したとされる事件を発端に立てられたスレッドで、後に、民主党がその党旗の写真をHPから削除したということで、さらに祭りが大きくなった。

 無論、切り刻んだ相手が国旗なのだからして、怒る人々が大勢いたことは想像に難くない。
 が、それにしても、スレッドの伸び方は異様だった。

 途中から、通常の意味での書き込みは影をひそめ、スレッド数を伸ばすことを自己目的化したかのような、コピペ(同じ内容のテキストや絵をコピー&ペーストする行為)だらけになって行った。
 
 世間は、静かだった。

 2ちゃんねるがサーバーが落ちるほどの騒ぎになっている一方で、新聞は党首討論でこの話題が出たことを報じた後、ほとんど続報を流さなかった。テレビも同様。ほとんど時間を割いていない。

 であるから、2ちゃんねるでは、スレッド数が50を超えた頃には、「新聞は事態を黙殺している」「テレビは報道から逃げている」と、2ちゃんねるとマスメディアの温度差について言及する意見が目立つようになっていた。
 
 8月の20日過ぎには、今度は、麻生総理の失言(学生を集めたイベントで、学生の質問に対して「金が無いなら結婚はしない方が良い」と答えた)をとらえたスレッドが、67まで数を伸ばした。

 このスレッドでも事情は同じで、麻生非難派と擁護派の書き込みは、途中からほとんど同じセリフのコピペに終始するようになる。この場合も、「スレッド数の増大」が自己目的化し、「祭り」は、もっぱら「祭りの拡大」のために開催されている状態になった。

 無論、ずっと昔から、2ちゃんねるは、プロパガンダの舞台だったし、商品宣伝の最前線でもあれば、悪意あるゴシップの温床でもあった。「祭り」にしても、一般人の関心とはまるで別なところで起こっているものが少なくなかった。

 たとえば、「左翼対右翼」、「サカ豚(サッカー豚→狂信的サッカーサポ)vs焼き豚(野球豚→カルト的野球ファン)」、「アンチダウンタウン」VS「アンチとんねるず」、「SMAP婆VS嵐婆」、「ジャニオタVSアンチジャニ」といった、不毛な対立を孕んだタイプの論争は、祭りになりやすい。対立する陣営の一方が大量書き込みをしてきた場合、もう一方の陣営が黙っていると、その場で「負け」が決定してしまうからだ。で、いきおい、一般人にはどうでも良いような不毛な論争に、とんでもない数の書き込みが蝟集することになり、そうしたスレッドは、無責任な煽りや野次馬を含めて、さらに繁盛することになる。

 公の場所では口に出せない感情や、マスメディアが報じないあれこれが人気を集め、差別、偏見、暴力およびエログロナンセンスないしはロリータ趣味やSMのような変態趣味が注目を引く。でもって、人種や民族への罵倒が同志を糾合し、怒りや嫉妬や恨みみたいな、そうしたネガティブな情報が客を呼ぶ傾向が顕著になってもいた。

 とはいえ、どんなに荒れているように見えても、全体から見れば、その種のネガティブな祭りは、やはり圧倒的な少数ではあったのだ。

 それが、今回のプロパガンダ合戦を通じて、徐々に占有率を高めてきている。私にはどうしてもそう思える。

*   *   *

 2ちゃんねるの世論は、不思議なことに、総アクセス数が増えるにつれて、一般と遊離してきている。

 私が個人的に抱いている感じでは、ずっと昔、2ちゃんねるがまだオタクの巣窟と呼ばれ、引きこもりやニートのメディアと見なされていた時代の方が、むしろプレーンなカタチで世論を反映していた気がするほどだ。

 たとえば、私が自分のホームページを始めたころは、2ちゃんねるは、まだ一般人には敷居の高いメディアだった(2ちゃんねる開設は1999年5月)。なにしろ、インターネットに常時接続でぶら下がっている人間の数自体が、圧倒的に少なかったわけだし。

 だから、当時の2ちゃんねるは、今と比べてずっとオタク寄りだった。アニメやコンピュータに寄り添った話題の多い場所でもあった。

 が、それはそれで世論をビビッドに反映しているところもあって、私自身、芸能ニュースやタレントの話題性を判断する際には、2ちゃんねるのスレッド消費スピードを参考にしていた。いまにして思えば、不見識だったかもしれないが。

 が、ここ数年、2ちゃんねるはおかしい。
 出入りする人間の数が増えて、客層もずっと幅広くなったはずなのに、話題は、むしろ偏ってきている。

 簡単に言えば、2ちゃんねるは、ある時期から、プロパガンダの場所になったということだ。

 今回、選挙をめぐる騒動を通じて、2ちゃんねるが進んでいる方向は、ある程度はっきりした、と私は考えている。

*   *   *

 故筑紫哲也氏が、ネット言論を評して「便所の落書き」と言った時、ネットワーカーを自認していた私は、大いに反発したものだった。

「オレらの言論が便所の落書きだというのなら、あんたは便所そのものじゃないか」

 と。

「オレたちは、確かに便所の壁に言葉を書き連ねている通りすがりの素人かもしれない。でも、あなたたちが自分たち専用の器を通じて専用の管の中に流し込んでいるアレは、いったいどういう素性の言論なんだ?」
 
 もちろん、当時と現在では、事情が違う。
 ネット言論に対するマスメディアの側からの攻撃の質も変わってきている。

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