そもそも猪木は、どうしてこのハイセル事業に傾倒していったのか?
それは想像の域を出ませんし、断片的に本人から語られていますが、まず前回書いた、ブラジルという国への郷愁はあると思います。
ただそれだけではなく、レスラーに対しての老後の保障という面もあったのでは?
どんなプロスポーツの世界もそうですが、現役を退いた後に、この世界で食べていける人間はほんの一握り、大成しなかった選手は当たり前かも知れませんが、成功した選手でさえ、同じ世界でコーチは、スタッフとして残れる人間は限られています。
おそらくですが、他のレスラーたちに対するこの事業をやる説明に猪木はこの老後の保障を唱えていたのかもしれません。 これが成功すれば、老後も生活ができる。 そこで働くなり、年金のような額を支給できるかも。
この問題はいまだに解決をすることはできていませんし、一団体では難しく、業界全体の問題でしょうね。
でもそれは小さいプロレス界だけでなく、プロ野球、大相撲、どのスポーツ界でも共通に抱えている問題ですね。 あまりにも短い現役生活、そこで大きな富を稼いだ人間ならまだましですが、それでも第2の人生で失敗する人間は多く、焦りと、不慣れなことで墓穴を掘るパターンも多いようです。
ただ、こういう選手たちの老後の面倒を見るよりも、もっと単純な動機があったというのが大方の見方ですね。
猪木は、根本的にプロレスラーとしてどこまでの事が出来るかという事に絶えず挑戦をしていましたね。 これは不幸にも途中で死去した師匠力道山の生き方に影響を受けていると思えます。
力道山も、生前、相撲取り上がりのプロレスラーがどこまでできるのかを、必死に追及していたと言われています。 あそこで亡くなっていなければ、国会議員となり、もっと大きな土壌で活躍したかったらしいのです。
国籍の問題こそありますが、帰化をし政界進出をしたであろうと、何かの機会に猪木自身か回りが言っていたことを聞いたことがあります。
そして猪木は2度にわたって参議院議員になっていますしね。一応今も現役(^^)
こういう単純な、一回のプロレスラーが、どこまでやれるのか? ある意味男のロマン、野望を秘めた挑戦というのが、正直なところだったのでは?
それが世界的なビジョンにも繋がり、エネルギー問題、食糧問題、リサイクル事業という今抱える多くの問題点と密接に繋がっていることは、なんという時代の皮肉を感じますね。
結局借金で火の車となり、ハイセルは新日本プロレスから切り離され、ここから新日本がクーデター、分裂、を繰り返していくことになっていくのが、何ともやりきれないお話ですね。
そろそろ本線に戻りたいと思います。