「前置詞」の勉強ってしたことある?『熟語本位 英和中辞典』への道
0.はじめに
いきなりですが、あなたは talk away という熟語の意味がわかりますか?
talk は「話す」、away は「離れて」という意味で、これは知っていると思います。
が、これじつは、「ぺちゃくちゃ喋りまくる」って意味なんです。
なぜこんな意味になるのか?
それは away に「継続」、「どんどん~する」という意味があるからなんです。
これを知ってた人も知らなかった人も、こういった馴染み深い簡単な単語こそ奥が深いということは、なんとなく知ってたと思います。
たとえば、もし中学や高校で良い教師に恵まれれば、「on を「上」と覚えてはいかん」ということで、a picture on the wall(壁にかかった絵)、a fly on the ceiling「天井にとまったハエ」などの例を挙げたうえで、これらより、「on は「接触」を意味するのじゃ」と教わったことがあるかもしれません。
あるいは、わたしが入学した年の東大の英語では、down the hall という3語を訳せ、とう、いやらしい問題が出ました。ほとんどの受験生は、これを「ホールの下で」などと訳したはずです。これは、まず hall を「廊下」と訳せて1点、down を「奥」と訳せて1点です。up や down は垂直方向だけでなく、水平方向にも使えるんですね。
すべての前置詞は、このような豊かな奥行きを持っているんです。
そして、わたしたち英語学習者は、このような「単純に見えて奥が深い」単語を、なんとなく読み飛ばし、誤読していることがかなり多い。このことは推測できると思います。
さらに、そうした単語は、当然ながら、遭遇の回数がとても多いです。それで、多くのセンテンスが「なんとなく」理解されてしまうことになる。だから、
ムズい単語を覚える作業と並行して、
易しい単語の勉強もしよう。
語彙を「広げる」だけでなく、
「深める」勉強をしよう。
それが本エントリの主張であり、また、その勉強方法のヒントとツールを紹介するのが、本エントリの内容です。
本連載の第1回(ライティング編)と第2回(スピーキング編)は理論編でした。
それに対して、今回は、10冊の本を紹介しつつ、「この前置詞にはこんな意味もあるんですよー」とちょっとばかり解説し、最終的に、「前置詞の勉強、面白そう!」と思ってもらうのが目的ですね。
てなわけで、続きをどうぞ。
(このカッコ内は読み飛ばしてください。文法にあかるい読者ならすでにお気付きかと思いますが、上記 away の品詞は、前置詞ではなく副詞です。なのですが、「副詞を勉強しよう!」とか「不変化詞を勉強しよう!」では、本エントリの趣旨がよくわからなくなってしまうので、ここではざっくりと、主に句動詞において用いられる一連の不変化詞を、品詞名としてわかりやすい「前置詞」で代表させてしまっています。)
1.最強の前置詞本、斎藤秀三郎『熟語本位 英和中辞典』
ちまたに氾濫している英語勉強本のうち、もっとも意識の高い層の本には、たいていこの斎藤秀三郎の名前が挙げられています。
彼の著書に『熟語本位 英和中辞典』(1915年)という伝説の辞書があるんですが、これの一大特徴は、前置詞の解説が非常に、いや、異常に詳しいということです。
前置詞は動詞とくっついて「熟語」をなすのが基本なので、「熟語本位」と名乗っているんですね。つまり前置詞本のつもりで辞書を作っているわけです。
たとえば with だけで11ページが割かれていることが「そのスジ」の人には有名で(笑)、冒頭をちょっとだけ引いてみると、
With(ウィヅ)【前置詞】注意:主なる意味は第一、合同、共同(誰と共に遊ぶなど)。(より)第二、所持、所有(金を持てる人など)。(より)第三、道具、機關(金を以て買うなど)。
① 【合、共同】He is with God (=dead). 神と共に在り(死せり)。
といった感じです。最初の例文からヒネったの載せんなよっていう。笑
この辞書と斎藤の凄まじさについては、ネット上にも無限に記事がありますし、本も出ていますので、そちらをご覧いただくとして、わたしの趣意は、
この最強の前置詞本『熟語本位』をゴールに据えて、「前置詞スト」に入門しよう!
ということです。
ただ、上に引用した箇所に、すでに「前置詞を勉強する」ことの型は見えています。
斎藤はここで with の語義を3つに大別しています。それはどの辞書でも同様ですが、それぞれのあいだに、(より)、と書かれていることに注目してください。
つまり斎藤は、「共に」という誰もが最初に覚える基本的な意味から、段階的・発展的に、別の応用的な意味が派生してくる、と捉えているわけです。
言い換えれば、最初に前置詞の全体像の「ストーリー」の要約を提示し、それにしたがって配置された例文を読んでいくと、前置詞の生涯が見えてくる。そんな設計になっています。
ただ、上記のとおり斎藤の本は敷居が高すぎるので、もうちょい入りやすい本から徐々にレベルを上げていこうではないか、というわけです。
前置詞という平易な単語の多様性をすこし知るだけで、いままで知らなかった英語の世界が見えてくるはずです。
2.怪物、柳瀬尚紀
わたしの前置詞学習のきっかけになったもののひとつは、翻訳家・柳瀬尚紀のエッセイでした。
かの柴田元幸をして「名翻訳家は何人もいるけど、怪物と呼べるのはこの人だけ」と賞賛せしめた人物ですね。
私家版の英和辞典を出すと言っていたんですが、こないだ亡くなりました。(ただデータはあるはずなので、見たくてたまらない……。)
で、なぜ柳瀬の話をしたかというと、柳瀬のエッセイそのものが、前置詞学習の入門にもってこいなんです。
柳瀬は大量にエッセイを書いていますが、まず読むべき本は、①平凡社新書の『猫舌流英語練習帖』と、②河出文庫の『翻訳困りっ話』です。残念ながら絶版ですね。
内容をいちいち細かく紹介していると終わらないので、ざっくり書きます。
①『猫舌流』は英語の勉強についての示唆的なヒントにあふれており、とくに第3章で、about や with について詳しめに解説しています。これが前置詞学習という領域への第一歩としてオススメできます(ちょっとクセがあるんですけど……)。
②『困りっ話』は、勉強エッセイって感じですが、ただ、おそらく『熟語本位』についていちばんアツく語ったエッセイではないかと思います。これもクセがありますが、やる気がでる。笑
次に、これは絶版かつAmazon価格が高騰していて「お薦め」はできないのですが、
という、このあまりにもダサい装幀の、あまりも素晴らしい本があります。これは、柳瀬が千倉の先生役になり、千倉の訳文を手直しするというラジオ番組の文字起こしだったはずです。服も抜群にダサいですね。
③は前置詞解説本ではないのですが、おそらく柳瀬の書き物のなかで前置詞の解説量がいちばん多いのは本書だと思います。
もし図書館などで閲覧できるようなら、ぜひ一読をお薦めします。
以上の3冊は入門編で、文字どおり、前置詞ワールドへのイントロダクションのようなものだと考えてください。
言い換えれば、網羅的な説明はされていないのです。
そして『熟語本位』は、あまりに網羅的なうえに、あらゆる点においてとっつきにくい。
というわけで、そのあいだを埋めるための参考書が必要です。
2.網羅系の前置詞本、2冊
前エントリの告知でも書きましたが、わたしはすでに前置詞についての参考書を書いていて、それが『暗殺教室』という、週刊少年ジャンプ漫画のスピンオフ企画の参考書の、第二弾、④『暗殺教室 殺たん 基礎単語でわかる!熟語の時間』です。
は? と思うかもしれませんが、第1弾(単語編)がよく売れたので、第2弾はなにをやってもいいよ、という感じで任せてくれたので、自分の一番作りたい参考書を作ったのがこれなんですね。
サブタイトルが「基礎単語でわかる! 熟語の時間」となっていますが、これは斎藤へのオマージュのつもりです。
この本は『熟語本位』をはじめ、多くの前置詞本を渉猟したうえで、必要・重要だと思ったものをピックアップし、グループ分けし、例文を作成し、マンガのキャラに解説させるという作り方をしています。
たとえば最初の前置詞は on ですが、これに3見開きが割かれ、100個近くの on を使った熟語を掲載、意味が11個に分けられています。
この本のポイントは、1)最初に前置詞のストーリーを短くまとめていること、2)それぞれの意味が前の意味からどう派生して来たと考えれば理解し覚えやすいか説明していること、の2点です。
たとえば、on の解説を引用すると、
では基本となるイメージをまずは覚えましょう。「接触」です。何かに「乗っている」とか、「くっついている」という意味ですねぇ。
さて、A on B と言ったとき、「AはBの上に乗っている」ということは、「AはBがなくなると落ちる」ということです。そこから、「基礎・基盤」や「依存」の意味も出てきますよ。
こんなことが書いてあり、まず全体像を把握できるようになっています。
また、語義区分の11項目は、接触、身につける、基礎・基盤、依存・理由、影響・固定……などとなっていますが、それぞれに補足の解説が施されています。
たとえば「影響・固定」の項には、A on B で「AはBの上に乗っている」のだから、「AはBに影響を及ぼしている」と言える、とか書いています(物理で物体から矢印が下に向いているイメージ)。concentrate on などはこれですね。
ついでに書いておくと、影響の on といえば、My father died on me.(父に死なれた)などに典型的に見られる on は覚えておくと、かならず得をします。
これは on 以下の人が困る、嫌な目に遭う、といったニュアンスを持つ、俗に言う「不利益の on」ですね。会話でも普通に使います。
同書には tell on 人:チクる、が例文に載っています。
なんと言っても中高生むけの受験参考書ですので、理論面の解説は弱い本ですが、辞書以外の和書で前置詞を勉強しようと思えば、まずこの本から入るのが最適でしょう。
次に、これは洋書なんですが、⑤Seth Lindstronberg, English Prepositions Explained もオススメです。
洋書ですが、さきに言っておきますと、英語はかなり平易です。研究書というより解説本という感じのとっつきやすさですね。
この本も網羅的で、易しく・詳しく、ほとんどの前置詞を解説しています。
例を挙げておきましょう。
たとえば out は「外」ですが、家から外に出る人を思い浮かべてください。この人は、家の中の人にとっては「出て行く」存在ですけど、家の外の人にとっては「出て来る」存在ですよね。だから out は「消滅」と「出現」の意味を併せ持つことができるのだ、などと説明しています。たいへん説得的です。
もうひとつ印象的だった例をだすと、turn up などの up になぜ「出現」の意味が宿るのかと言えば、「下にあったものが上に昇ってきて視界に入るからだ」と言っています。ホントかよ(笑)って感じですが、レベルが上がってくると、こうして様々な解説を見比べて楽しむこともできるようになります。
up といえばあと「完了」の意味が有名ですが(eat up:食べ終える)、他に「元気がいい」(cheer up)とかもありますね。let 人 down(がっかりさせる)などの「元気がない」down とセットで覚えるといいです。
あと Explained の面白いところは、マウスで書いたとしか思えない挿絵ですね。
A woman in a strong wind with her hair streaming back. の解説の挿絵です。
背景は必要だったのかとか、そもそもこの絵で back の理解がどれくらい助けられるのかとか、足元の妙な影とか、ツッコミどころしかありません。マジ卍。
さて、ここまででなんとなく理解してもらえたと思うのですが、前置詞の意味は、
①物理的な位置関係
から
②抽象的な意味
に発展するのが大原則です。
(まぁこじつけに過ぎないことも多々あるんですが、とりあえず前置詞と仲良くなろうという段階では有効です。)
この原則から、さきの A on B での「AはBの上にある」「AはBに影響を及ぼす」「BはAを支える」「AはBに依存」「BはAの根拠」などを見ると、あらためて具体から抽象へ、というストーリーが見えてくると思います。
ほらほら、他のも知りたくなってきたっしょ?(北海道弁)
あなたはすでに前置詞スト化しています。There's no turning back.
3.辞書・辞典
辞書・辞典もいくつもあります。もちろん網羅系です。
が、わたしのお薦めしたい(=普通に探しても出逢いにくい)本は、どれも絶版みたいです……。
年をとるってこういうことですかね……。
ともあれ、まぁ古書とかでも手に入るので、紹介しときます。
ひとつは、研究社の ⑥ クリストファ・バーナード『英語句動詞文例辞典――前置詞・副詞別分類』です。
この本はかなり例が多い羅列系の辞典で、ネイティヴの専門家が作っているので、かなり口語的な用法がちゃんと載っており、また「これは汚い言葉なので使うな」「これは差別的なので絶対使うな」(卑語ってやつ)とか注意書きもあって、たいへんためになります。
これは前置詞ごとに切ってあるので、「今日は off を読もう」みたいな勉強ができる辞典ですね。
わたしが一番印象に残っているのがこの off で、「離れる」という基本の意味には「居眠りする」「集中力がなくなる」「うわの空」などの意識面での「離れる」もあるんだなぁ、といったことを学びました。これで日本語の休みを意味する「オフ」にスッと繋がります。
off といえばあと「細くなっていく」「すり減っていく」というニュアンスもありますね。
さてもう一冊は、マケーレブ夫妻の ⑦『動詞を使いこなすための英和活用辞典』です。Amazonの紹介欄のところにに例文が載っていて、これ良い例ですね。まずは見に行ってみてください ↓
これは動詞で切っている、というか熟語がアルファベット順で、 make out, make up, make use of, みたいに並んでいるので、上述の本の趣旨とはちょっと異なります。
が、動詞と前置詞は熟語の縦糸と横糸みたいなものなので、ダブルで攻めると新たな発見があったりします。
それから、この本の中央部分には赤いページがあって、そこでは前置詞の解説がなされていて、これが短いながら思いのほか有益です。
これはわたしが学部生の時に柴田元幸先生に教えてもらい、「これどうやって使うんですか」と質問したら、「アーそれはいい質問ですね……これ、書く時に「こういう言い方するよな?」と思って確認するのに引くっていう使い方するんだよね。書くための辞書ですね」と仰っていたように記憶します(口調を完璧に再現しています)。
したがってライティングの手助けにもお薦めできるのですが、本エントリの趣旨的には、読むという使い方をしてしまっても良いと思います。基本動詞も深いですからね。
ちなみに ④『殺たんB』には前置詞だけでなく、基本動詞(makeとかgetとか)のページも設けられています。
また、前置詞研究者というと外せないのが、小西友七です(ていうかどの分野でも外せない)。誰もが知る『ジーニアス』を作ってる人ですね。大修館から ⑧ 『英語前置詞活用辞典』という辞典が出ています。
これはおそらく、もっとも硬派で律儀で真面目な前置詞の辞典で、前置詞の勉強でもすっかな?という軽いノリではちょっと読めません。
わたしは英文科に所属していて、2時間かけて2ページしか進まないような精読の授業をコンスタントに受講していたのですが、そこで、いつもの『ランダムハウス』と『リーダーズ』と『ロングマン英英』を引いても出てこず(いつもこの順で引きます)、さらに上述の熟語系の本のどれを見ても出てこないとき、最後にこの本に載っていた!ということは何度もありました。
そういう、なんというか、長老みたいな存在です。お金とスペースに余裕があればリファレンス用に持っておくのはアリですね。
小西の前置詞本は、このコンサイス版、⑨英語前置詞活用辞典 簡約版 というのもあって、こっちから入るのも良いかもしれません。
ちなみに小西は基本動詞の本(https://amzn.to/3SzaJBR)も出していて、これは新装復刊しましたね。とても読みやすい本です。
というわけで最後はもちろん、⑩ 斎藤秀三郎『熟語本位英和中辞典』です。
これは上述したように、長いあいだ絶版で、わたしが10年前に神保町の大雲堂書店でついに発見したときは伝説の剣を地面から引き抜いたような気持ちでしたが、ごく最近、刊行100年記念で復刊しました。めでたいです。
さすがに安くない値段ですが、圧・倒・的に価値のある本です。THE 読む辞書。いますぐ買ってまず with から読みましょう。
じつはさらにこの先に、ラスボス倒したけどまだいたパターンで、斎藤の ⑪『前置詞講義』という巨大な本があるのですが……これは未読です。前置詞ストたるもの、いつか読みたいものですね。
□ □ □ □ □ □ □
てなわけで、今回の連載(?)はおしまいです。
じつはいずれ、④ リスニング編 ⑤ 冠詞編 ⑥ 助動詞編 そして ⑦ ライティング上級編、というのを目論んでいるんですが、どれも準備ができていないというか勉強中なので、いずれまた書きます。1年後くらいですかね……。
どんどんマニアックになって読者は減っていくと思いますが笑、どうぞご贔屓に!
ありがとうございました〜