共感を持ってアクセシビリティ改善を行う
このエントリーは、Web Accessibility Advent Calendar 2017の16日目のエントリーです。
予告通り、エモい共感の話をします。
私はウェブサービスを運営する会社に所属していて、サービスに関わる各種デザインを行う傍ら、アクセシビリティの啓発だったり改善を行なっています。
そんな折、障害当事者がどのようにウェブサービスを操作して情報を取得するか、ということを会社の人に見てもらうことをしました。
元々はユーザーテストのように、定性的な評価を得るために行うことを主に考えていましたが、実際やって見て「あ、これって結果を得るより共感を得ることの方が大きいな」と思いました。
ユーザーテストでもよく「ユーザーが開発者の意図通りに操作してくれないことに衝撃を受けて、そこからサービス改善が進む」「ユーザーの利用状況を目の当たりにする事で、サービスに関係してる人たちの心が一つになる」といった話がありますが、アクセシビリティでも同じことができるんだなと実感した瞬間でした。
やっている内容は異なりますが、デザイン思考の最初のステップにも「共感」とあって、数年前にこの言葉を見た時は「なぜこのような単語を大きく掲げる必要があるのだろう?」と、理解もせずに思っていたのですが、その後、自分がそれを必要とする場面に直面して初めて重要さに気づきました。
人間、理解だけでなかなか一緒に取り組んでくれないんですよね。これが。
その人が知らない、あるいは興味がない分野の話をするときに、理解して、体感して、共感する、というステップは大事でかつ効果的である、ということに気づいた1年でした。
ただ、共感をもってアクセシビリティ改善を行う場合の弱点として、視覚障害、聴覚障害といった、見学してもらう障害当事者の障害に関する課題や問題には深く理解してもらえるものの、それ以外の障害に対する理解や体験は必要に応じてまたやらないといけないことと、ウェブアクセシビリティはそもそも障害者対応ではなく、あらゆる状態をカバーするものである、ということは相反するとらえ方をされてしまうということが挙げられます。
別の言葉でいうと、特定の障害に対するユーザビリティを上げやすい反面、全方位的なJISやWCAGといったガイドラインを適用する話とは多少かみ合わせがよくないと感じています。
おそらくは、多様なユーザーが使えるサービスを作るときに「あらゆる人が使えるデザインにしよう」というユニバーサルデザインから「リードユーザーを巻き込んだ参加型デザインをしよう」というインクルーシブデザインに手法を変えた場合の先に起きる問題でもあると思います。これはちょっと乱暴な言い方ですが。
といった辺りをどう解決するかが来年の目標になるのかなと思いつつ、残り少ない今年をすごしたいと思います。
明日、17日のAdvent CalendarはMina_Minoさんです。